未来からのハッピーバースデー
「渋谷、誕生日おめでとう!」
7月29日朝、開口一番に親友・村田健は魔王専用寝室の扉を開けて言い放った。
今日はコンラッドとの朝のトレーニングもお休み。というか朝から生誕祭の支度で大忙しになる予定だったのでおれはいつもより早めに起きて、学ランを着こんでいる最中だった。
扉が開いたのでてっきりコンラッドが来たのかと思ったら、そこには大きな箱を抱えた村田の姿が。
しかしその顔を見た瞬間、おれはありがとうも言い忘れて目を見開いていた。
「…む、村田?」
「いやー、良かった、良かったよー!きみの誕生日に間に合って!」
至って笑顔。そして元気。しかしその目元には深々と刻まれたクマ。そして少しばかり痩せた頬。
どう見てもカラ元気というかどうしちゃったんだ村田!
おれは上着をベッドに置くと、近づいてくる村田に駆け寄った。
「ちょっと村田!何かあったのか?」
「ん?あぁ、ちょっとばかし痩せたかな?3日間程殆ど何も食べてなかった様な…」
「え!み、3日間もか?何でそんな荒行を」
「そんな事はいいから、ほら、渋谷」
自分の体のやつれ具合を「そんな事」で片づけると、村田はおれの心配をよそに鼻歌でも歌いだす勢いで抱えていた箱を差し出す。
おれとしてはそんな事、で片付く問題じゃないと思うんだけど!
しかし差し出された箱の表面に、英語で「Happy Birthday」と書かれたカードを見つけるとおれは言葉を止めた。
「渋谷、きみへの誕生日プレゼントだよ。ハッピーバースデイ」
「…村田」
「凄い自信作なんだ。きみの驚く顔がどうしても見たくてさ」
「え、この中身、お前の手作りなの?」
思わず聞き返すと、箱を受け取る。思ったより重くて目を見開くと、村田は嬉しそうに頷く。
「うん。世界のどこにも無い、村田健オリジナルブランド『KENGOODfeat.A』だよ!」
「KENGOODってスレスレすぎないか?ていうかフィーチャリングAって?」
「まぁまぁ、兎に角早速ちょっぱやで開けてみて!」
驚くおれを無視して村田は両肩を掴んで向きを変えさせた。後ろにあるベッドに置いて開けろって事か。
唐突すぎる展開だが、それでも村田がおれの為にプレゼントを用意してくれたのは素直に嬉しい。
そういえばここ数日姿を見かけてなかったけど、この為だったのかと思うと中身を開けていないのに思わず笑みが漏れた。
「あ、ヴォルフ。もうそろそろ起きろよ」
「ん…なんら、もう朝か…」
未だベッドで天使の寝顔を振りまいているヴォルフに声をかけると、箱を置いて簡素に巻かれたリボンを外す。
するとヴォルフもようやく寝ぼけ声をあげて目を覚ましたらしく、もぞもぞと起き上った。
「やぁフォンビーレフェルト卿、ゆっくりなお目覚めだね」
「ひっ!お、お前何て顔してるんだ!」
「え?そんなに酷い顔してる?」
「一遍鏡を見てこい!」
やだなぁ、僕って夢中になると寝食忘れるタイプだからかな?と横で首を捻る友人とそれに怯えるヴォルフに苦笑を浮かべながら、残りの包装を解いて箱を開ける。
真っ白な箱から出てきたのは、紫の色をした…筒?
「村田…これ」
「何だその筒は?取っ手みたいなものがついているが…」
横からひょいと顔を覗かせたヴォルフが、不思議そうに首を傾げる。
おれとしてはこのフォルムに少しばかり見覚えがあるんですが。
ていうか小さい牛に似た子供のアフロの中から出てくるバズーカそのものというか。
横を向くと村田が満足気ににやついていた。
まさか。
「それはねー…なんと、10年バ」
「あーあーあーあーあーあーっ!」
慌てて大声でその先を遮った。ヴォルフが驚いたが構わない。今ここでそのアイテム名を出すのはマズイだろ!
村田はそんな対応に嬉しそうにはしゃぐ。
おれの驚いた顔が見たいとか言っていたのは本気中の本気だったのか。
「やっぱり解った?」
「解るも何も、どうやって作ったんだよ!」
「そりゃ僕の頭脳と、Aさんのアイデアがコラボレーションしてファンタジーみたいな?」
やっぱり。
アニシナさんと村田の共同開発は漫画の世界のアイテムまで作り出してしまうのか。
いつかきっとタイムマシーンも発明して、おれの親友はパイロットなんて事にもなりかねない。
「もしかしてこれって、10年後の自分と入れ替われるのか?」
「それがねー、残念なんだけど…10年が限界だったんだよ」
「それでもありえねーよ!」
よよよ、とシナを作って済まなそうに項垂れる村田に普通に突っ込んでしまう。
そもそも10年後の自分とか、そういう未来編って許されるべきなの?
「何だ?これで10年後の自分と入れ替われるのか?」
「そうだよフォンビーレフェルト卿、ここの引き金を引いて、入れ替わってほしい相手に向けて放つとドカーンとね!」
「凄いな!そんなものがあるとは…」
「ヴォルフ待て、これはアニシナさんの手も加わっているんだぞ!」
しげしげと眺めているヴォルフを制止すると、おれは村田の方に向き直る。
おれの為にわざわざ何日もかけて作ってくれたのは大いに嬉しいが。しかしだ。
「村田、ありがとうおれの為に。でも…使い道が、無い」
「やだなー、渋谷が使う為にあるんだよ!」
「はぁ?」
間髪入れずに帰ってきた答えにおれはあんぐりと口を開けた。どうしておれが自分で10年後に飛ばなければならないんだ。
「別に深い意味も無いけど、たまには面白いこともあっていいかなーって。ほら、僕ってそういう面白い事に関しては労力惜しまないから」
「…要は村田が楽しみたいだけだろ」
「そんな。僕は渋谷の誕生日にとびっきりのものをプレゼントしたかっただけ!ね!フォンビーレフェルト卿だって凄いと思うよね?」
「あ、あぁ…。僕としてはこの発明は凄いと思うが」
「でしょ?」
だからっておれは別にタイムワープをしたいわけでもないんだけど。
これは使わずに宝物庫にしまっておくのが最善の策だと思っているんだけど。
でも、ヴォルフがちらちらと物珍しそうにバズーカを見ているのがどうにも気になる。
「…ヴォルフ、これ気になるんだろ」
「え?」
呆れながら尋ねると、ヴォルフの頬に朱が入る。
顔に出ているのを指摘されたのが恥ずかしいのか。
「べ、別に気になってなんか無い」
「じゃあこれはありがたくしまっておこうかな…」
「え?」
「えー!使わないの?」
村田のつまらなそうな声と同時にヴォルフも声を上げたのをおれは聞いた。
どういう意味だそれは。
「だってこれから式典だぞ?」
「ちょっとだけだからいいじゃん、フォンビーレフェルト卿だって10年後の渋谷、見てみたいよね?」
「え、あ、あ…」
明らかに動揺するヴォルフに肩を落とす。はぁ、そういう事か。
にしてもそんな事の為に頭脳と労力の無駄遣いをする村田をある意味尊敬してしまう。
でもおれで遊ぶのは正直いかがなものか。
…ん?でも別に、おれが飛ばなくてもいいんじゃないか?
「…そうか、その手があったか」
「ん?どうしたの渋谷?」
「村田、おれ、10年後のお前を見てみたいなー」
にっこり笑うと、おれは紫のバズーカを肩に担いだ。
持ってみると意外に重たくはないし、丁度フィットする感じ。
排出口を村田に向けると、途端に村田の顔から笑顔が消えて後ずさり始めた。
「え?や、ちょっと待ってよ渋谷ー、僕は別にそういうつもりじゃ」
「だっておれへのプレゼントだろこれ?おれがどう使おうと、構わないよな」
「いやでもだからって僕に試したらよくないよ、きっと10年後の僕は残虐非道でスキンヘッドのおにーさんになってるかもしれないしさ」
「いーや、おれの予想では成人を迎えて少しは落ち着いたいーい村田さんに出会えると思うんだよなー」
じり、じりと間を詰めながらお互い距離を保ちつつ応戦し合う。
まぁ本気で撃つ気は無いけど、村田が諦めるまでは取りあえず追いかけっこをしていようとバズーカを持ち直して足を踏み出した瞬間。
「うあっ!」
「あ!」
「ユーリ!」
うっかり。
本当にうっかりだったんだ。
自分の上着が床に落ちているのに気付かなかったおれは、それを踏んで見事に滑った。
と、同時にバズーカが宙を舞って。
「あーっ」
「ヴォルフ!」
それは綺麗な弧を描いて、ヴォルフの元に向かって落ちて行った。
「ヴォルフ!避けろ!」
「…やばいな、動けない」
「えええっ?」
リ、ボーン!
不思議な効果音と共に、辺りがピンク色の煙で包まれた。
多分、バズーカが発動したせいだろう。
目を開けると、目の前にいるはずのヴォルフがピンクのもやで包まれていて。
「ヴォ、ルフ?」
おそるおそる声をかけると、そこには。
「…ユーリ?」
「…」
思わず声が出なかった。
だってそこにいたのは、さっきまでネグリジェを着ておれの横で子供みたいにバズーカを見ていたヴォルフじゃなくて、少しだけ成長した、人間でいえば20歳を越えてそうな、凛々しい青年だったから。
青い軍服が、昔以上によく似合っている。
「…ヴォルフ、だよな?」
「あぁ…お前はユーリか?驚いた…」
「あ、あの、これは」
「…懐かしいな」
「っ?」
遠慮なく延ばされた手が頭を撫でて、おれは目を見開いた。
ヴォルフに頭を撫でられるなんて、今まで無かった事だ。
「いやー…おっとこまえだね!フォンビーレフェルト卿」
「ひっ…猊下…どうしたんだその顔は」
10年後のヴォルフにも同じ突っ込みをされて村田も少々傷ついたのか、目の周りをマッサージし始めた。
眉間を揉み解しながらおれの側まで来ると、感嘆のため息を漏らす。
「渋谷、僕の発明大成功だったね!」
「大成功っていうか…いや、まさか本当に入れ替わるとは」
漫画の世界だけだと思っていたので本当に驚いた。勿論、急に10年前に連れてこられたヴォルフも驚いただろうけど。
「…ここは10年前の、今日か?」
「あ、あぁ。そう。10年前のおれの誕生日…ごめんな?いきなり入れ替わっちゃって」
「いや…こういう出来事には慣れているので大丈夫だが…何だか不思議な気分だな、昔のユーリと会話をしているのは」
「うん、でも5分で戻れるから大丈夫…だよな?村田」
「え?」
横を向くと、つい3秒前までは隣にいたはずの村田がいなかった。
驚いた声がした方向をみると、村田は既に扉の前まで移動していて。
ってちょっと、早くないですか?
「村田?何処行く気だ?」
「ごめんね渋谷っ、それ、タイムリターンモードが間に合わなくて、5分で戻る保障がないんだ−!」
「ええっ!」
「きみの誕生日に間に合わせたくてさー、渋谷が実験台になっても魔力でどうにかなるって思ってたから!いやーしかしバック・トゥ・ザ・なんちゃらーは本当に出来るんだね!マーティ!」
「腰抜け言うなー!」
「僕はグリフじゃない、ドクだよ!じゃあ僕はちょっと仮眠を取ってくるから10年後の彼をよろしくね!大丈夫、夜のパーティまでには戻るから!」
「ちょっと待て村田っ!」
一通り言い残すと村田は脱兎の如く部屋から出て行った。
思わずネタに応戦してしまった自分が情けないが、バズーカを撃ってしまったのは自分なのでこのままヴォルフを置いて村田を追いかけるわけにもいかず。
がくりと項垂れつつもヴォルフの方を見ると、さして気にもしていない様子だった。
「…今の聞いてただろ?もしかして今日の内は戻れないかも知れないんだけど…」
「あぁ。ぼくは別に構わないぞ。寧ろ懐かしい気分でいっぱいで楽しいくらいだ」
「…そうか?」
ヴォルフはおれの上着を拾い上げると、それを両手で広げて頬を緩ませる。
「ユーリの上着、昔は結構小さかったんだな」
「え、そうなの?じゃあ10年後のおれはもうちょっとがっしりと成長してるって訳?」
「そうだな、今よりかはな」
ほら、と差し出された上着を受け取るとそれを着込む。
隣に立ってみるとヴォルフの方が明らかに背が高くて、それが凄く不思議な気分だ。
10年後のおれはきっとヴォルフより背が高いと思いたい。そうでなきゃ、美青年へのコンプレックスが益々刺激されるだけだ。
「…って、ヴォルフが大人になったって知ったら皆驚くよな?」
うっかり普通に部屋を出ようとしていたが、よく考えなくとも大騒ぎになることは間違いない。
コンラッドもグウェンダルも、可愛い少年だった弟がいきなり美青年になったら驚愕するだろうし。
アニシナさんはきっと目を輝かせるだろうけど。
「まぁ驚きはするだろうが、事情を説明すれば何てことないだろう」
「でも、今日はグレタも来るし…うーん、この姿のヴォルフを見せたら一気におとーさま株がヴォルフに傾いちゃうような。そしたらおれが今まで築いてきたかっこいいおとーさまポジションが一気におかーさまポジションになっちゃうかもだし」
「そんなの構わないだろ、現にユーリは僕の…、と」
苦笑を浮かべながら話していたヴォルフが急に言葉を切って、自分の右手で口を押さえた。
ん、何か言いかけた気がしたんだけど。
「何だよ、途中で切るなんて気持ち悪いな」
「いや、何でもない」
明らかに何かマズイことを言いかけたのは長年の付き合いから一瞬で解ったが、それよりもすぐ上の兄にも似た好青年風の嘘の無さそうな笑顔に押し黙ってしまう。
だって、悔しいくらいに男前なんだもん。
「…何か10年後のお前って、やっぱり大人になったな」
「どうしてだ?僕は昔と変わらないぞ。…あぁ、大丈夫、10年前のユーリに付く悪い虫にまでは嫉妬しないからな」
「はぁ?」
だからそんな言葉をいつの間に会得したんですか。
そう突っ込みを入れる前に、ヴォルフは部屋の扉を開けて、食堂へと歩き出す。
「ユーリ、ほら」
「え?」
勿論、レディファーストもとい、魔王ファーストをしてくれながら。
あぁもう、調子狂うな!
「…はー、今日は凄い1日だったなー」
何時間あったのかってくらい長いパーティの後。
抱えきれない花束やら重すぎるマントやら王冠やらを身に着けたまま魔王部屋に戻ると、ようやく肩の力が抜けた。
ヴォルフが花束を持ってくれたので、おれは王冠とマントを机の上に置くと上着を脱ぐのもそこそこにベッドに向かう。
脚を投げ出してベッドに寝転ぶと、こら、と声をかけられた。
「お前はまたそんな恰好で。上着を脱いでからにしろ」
「うわ、ヴォルフが最もらしい事言ってる!いつもはおれより先に疲れたーとか言って寝ちゃうのに」
「そうだったか?まぁ、今日はユーリもお疲れだろうがな」
村田の言った通り5分経っても10分経っても戻らなかった青年ヴォルフはおれの誕生日がもうすぐ終わろうとしているのにも関わらず、今だにそのままだ。
ヴォルフが呑気に構えていたのはあながち間違ってなく、コンラッドもグウェンも他の皆も、最初は驚いたがアニシナさんと村田の共同発明だと聞くと一様に頷き、中にはヴォルフに同情さえする人もいた。
中でもツェリ様とグレタは大はしゃぎで、ツェリ様は『ねぇ陛下ぁ、実の息子との恋仲って許されるのかしらん』と蜂蜜ちゃんを愛でまくり、グレタはやたらもじもじしながら『グレタ、10年経ったらヴォルフと結婚してもいー?』とおれに聞いてきた始末だ。勿論、おれが泣きながら説得したのは言うまでもなく。
「だからグレタに会わせるのは嫌だったんだー」
「はは、でもグレタは10年後もお前の事が一番好きだぞ?」
「でも歴史は変わるかもしれないじゃないか」
口を尖らせると、ヴォルフはそんな事はないだろう、と言いながらベッドへと寄ってくる。
疲れたのか上着を脱いだヴォルフの体は、王子様シャツの上からでも鍛えているのが解った。
「ユーリ、グレタから貰った首飾り、外しておいた方がいいぞ」
「え、あぁ、そうだな、壊しちゃまずいし」
愛娘からのプレゼントをもらった晩に壊しちゃ元も子もない。直ぐにケースに入れて仕舞わないと…と思った瞬間、ヴォルフの指先が頬を掠めて。
「っ?」
「ん?取ってやるからじっとしてろ」
「…うん」
…びっくりした。だってヴォルフの指が、いきなり触れたから。
何気なくやった事なんだろうけど、こっちのヴォルフにされるのは緊張する。
普段はこんな事してこないから解らないけど。
「ほら、閉まっておくぞ」
「あ、サンキュ」
そんな事を考えている間にヴォルフの手は離れ、瞬間、懐かしい匂いが鼻を掠めた。
ヴォルフの匂い。それは10年経っても、変わることはないんだ。
「…なーヴォルフ」
「ん?」
そしたらおれも、変わることはないのかな。
10年後もまだ、ヴォルフの隣にいるのかな?
「…何でもないや」
「何だ、勿体ぶって」
だって今、10年後のヴォルフに未来を聞いたらいけない気がしたんだ。
きっと変わりないと言われても、未来はどうなるか解らないし、おれはきっと、その言葉に頼ってしまう。
それに。
「だって、楽しみがなくなるのはつまんないから」
「未来の事を聞きたかったのか?」
「まぁね。誰かいい人見つけましたかーとかさ」
「…そうか」
ふいに、ヴォルフが意味あり気な笑みを浮かべた気がした。
それは今にも笑いだしそうな、嬉しそうな笑顔にも見えて。
「何?」
「ん、いや…これは言うべきではないかと思って」
「えー?何だよ」
おれはごろりと転がると、ヴォルフの方を見て問いかけた。
横顔にはまだ今の面影があって、それが何んとなくだけど、嬉しくて。
今ヴォルフは10年後で何をしてるのかな。
「…この浮気者」
「え?」
「今、他の奴の事を考えただろ」
顔を見ると、不機嫌そうに眉を寄せておれを睨む。
待て待て、寛容になったんじゃなかったのか?
「ちげーよ、お前…10年前のヴォルフの事を考えてたの!」
「…本当か?」
「そうだよ、何で自分に嫉妬してるんだよ全く…」
「そうじゃなくて、ぼくの事を考えてくれていたんだな?」
「え」
す、と手を握られて驚いたのも束の間、ヴォルフの綺麗な顔がさっきよりも近くなっていておれは動けなくなる。
うわ、何だこれ。
顔が熱い。
「…10年前のユーリは今よりずっと、可愛いな」
「お、おれは男だって」
「…顔が赤いぞ?」
「う、うるさい!」
指摘されて益々顔が熱くなるのを感じながら、おれは目を逸らした。
目の前でヴォルフが笑っているのが判るけど、ちゃんと目を見れない。
どうしては知らないけど。
「ていうかさ、手!…離せよ」
「手くらいいいじゃないか。あぁ、そうだ…」
恥ずかしくなって言ったものの、軽く流されたら立場が無い。
おれ、酒でも飲んじゃってたかな。
悶々と考えているとヴォルフが胸ポケットから小さい箱を取り出した。
手触りの良さそうな、黒い箱。
「…何?それ」
「…本当は今日、あっちのユーリに渡すつもりで用意していたんだ」
そういうとヴォルフは手を離して、その箱を手のひらに乗せた。
おれの目の前に差し出すとゆっくりとそれを開けて。
その中身におれは、釘づけになる。
「指輪…」
「あぁ」
シルバーのシンプルな指輪。
表面に透かしっぽく彫られた文字は、おれにでも読める眞魔国語だった。
「『10年先も変わらぬ愛を、ユーリへ…』」
「まさか10年前に戻るとは思わなかったがな」
「これ…どういう意味?」
聞かなくてももう、意味は殆ど解っていたけど。
それでもおれは、つい聞いてしまっていた。
するとヴォルフは、小さくはにかむ。
「そういう意味、だろうな」
「…うそ」
「嘘だと思うなら、10年後を見ていろ」
自信たっぷりに言い放つと、ヴォルフはおれの右手を取り。
そっと、薬指に指輪をはめた。
「…ヴォルフ」
「チキュウでは、この指が恋人同士を示すのだろう?」
「…」
弱った。
顔がどうしようも無いくらいに熱くて、何も言葉を返せない。
もしかしなくても、10年後のおれとヴォルフって…恋人同士って事、だろう?
だって、そんな。おれ達は至って普通の、婚約者同士で…。
「…混乱させたか?」
混乱するに決まってる。
おれの中の道徳観念とか、恋愛観とか、そういうキャパがいっぱいになってしまう。
だっていつか、ヴォルフの事を、好きだって思うんだろ?
「…混乱、してるよ!」
「でも僕は、10年前からずっとお前だけを愛してる」
あぁ。
恥ずかしくてどうにかなりそうだ。
そんな歯の浮くようなセリフを、さらりと言うなんてずるい。
でも、胸がどきどきするのは、夢じゃない。
「…ばか。おれ、どんな顔してアイツに会えばいいんだよ」
「いつも通りでいいじゃないか」
「…それが出来るか、解らなくなっちゃったけどな」
口を尖らせると、ヴォルフは楽しそうに笑った。きっとおれのモヤモヤや動揺なんて気にしてないのだろう。
そんなの、月日が経てば笑い話になってるとでも言うんだろ。
頬を膨らませると、ふいにヴォルフが真剣な顔つきになって。
「…それなら、10年後のぼくから頼みがある」
「え?」
改まった調子で言うと、おれの指をまた、ぎゅっと握って。
片方の手が、そっと頬に触れた。
「今より少しだけでいいから、優しくしてやってくれ」
「…」
「きっと、昔のぼくが喜ぶ」
その言葉で、おれがどれだけヴォルフに想われているのかが痛いくらいに解った。
それと同時に優しくて、甘くて、滲むようなこの気持ちが今、おれの中から溢れ出す。
「…わかった」
「うん」
そして、ヴォルフの顔が迫ってきて。
あ、と思った時にはもう、キスをしていた。
ふわりと触れた唇の温度が冷めない内に、辺りがピンクの煙に包まれる。
リ、ボーン。
「…」
「…」
目を開けると、そこにはいつもの、おれと同じくらいの背をした美少年のヴォルフがいた。
いつもの、ピンク色のネグリジェに身を包んでいて、それが何だか愛おしい。
「…も、戻った」
「あぁ、戻ったな…おかえり、ヴォルフ」
「ただいま…って何だ?その指にはめているのは!」
早速指輪の存在に気付いたヴォルフが声を上げる。
流石、チェックが早いな。と感嘆しつつ、おれはそっと指輪を外す。
「何って、プレゼントだよ。誕生日の」
「誰からのだ?」
「…内緒」
「婚約者に隠し事をする気か!ぼくというものがありながらどうしてお前はそうやすやすと浮気するんだ!」
でも相手は、お前なんだけどな。
そう言いたい気持ちを抑えて、言葉を返す。
「その話はまた今度きくから。それより10年後はどうだった?」
「う…」
切り返すとヴォルフが急に顔を赤くする。
おや、不思議な反応だ。
「おれに会った?」
「…あぁ」
「どうだった?」
「……ま、まぁ少しはへなちょこでは無くなっていたんじゃないか?」
「何だよそれ、もっと素直になれっての」
「…っ」
ぴん、とヴォルフの額にデコピンをすると、おれは無意識にへへ、とはにかんだ。
ベッドから降りると指輪の箱を、机の中にしまう。
おれにはまだ、必要ないから。
「なーヴォルフ、たまには一緒に風呂入るかー?」
「…あぁ、入る!」
振り向くとヴォルフがベッドから降りて、こっちに向かってくるところだった。
今日は色々とお互いに起こった出来事を、風呂に入ってゆっくり話したい。
そしたらいつも通り2人で、いや、グレタも呼んで3人で寝よう。
意外と10年後ヴォルフが言った通り、普通に振る舞える自分に苦笑しながら風呂に向かう。
「ユーリ」
「ん?」
「…言いそびれていたが、誕生日…おめでとう」
「…ありがとう」
だけどこの、胸に湧く優しい気持ちに気付いてしまったから。
明日からはどうなるかわからない。
でも、おれは思うんだ。
「…しかし、明日にでも猊下に会ったら説教してやらねば」
「あ、そうだな!結局村田、どこに行っちゃったんだろ?」
「まぁあんな顔をしていたからな、きっとまだ寝てるんだろう」
「はは、そうかな」
そんな風に、笑いながら、ふたりで。
10年後もその先も、一緒にいれたらいいな。
そうしたら今度は、おれが指輪をプレゼントするよ。
後日談とかもっと沢山書きたかったけどハッピーバースデイ!(間にわなかったらしい)
TOPでずっとユヴォル話にするとか書いてたけどよく考えたら投票結果はヴォルユだった気がしましたのでヴォルユ風味にしてみました。ちなみに今の10年後はヴォルユ設定です!^^お待たせして申し訳ありませんでした!