心に秘める
ヨザック。
そうあんたが呼ぶ度に何か温かいものを感じていた。
それよりそんな感情が自分にあるなんて思わなかったからずっと名前をつけなかった。
焦がれるとか、愛おしいとか。
そんな甘い言葉を知ったのはそれから随分後の話だったが、今更そう表すのは何だか違う気がしてそっと蓋をしておいた。
一度だけ、たまにひとりでに開くその蓋に、鍵をかけた時期がある。多分もう二度と、外れる事は無いと思っていた。
しかし錆び付いた筈のその鍵はある日脆く崩れ落ちて、再び蓋は自由に開くようになった。
そしてそれはささやかな温かさを連れて胸を通り抜けて。
居心地が良かったその感情に、やっと名前をつけてやろうと思った矢先だ。
新しい鍵がそっと蓋に差し込まれたのは。
*絶対に言わない事それは永久に叶わない事*
「ヨザック!」
呼び止められて振り向けば、駆け寄ってくる無邪気な笑顔。
双黒の瞳に見つめられるのは正直、まだ慣れない。綺麗すぎて何だか不思議な気分だ。
「おや、陛下。お久しぶり」
「なっ!最近ヨザックこっちに来ないからさー」
「ちょーど任務報告にくると親分が自分の城にいますからね」
「タイミングが合わないんだよなー」
それは半分嘘。本当にタイミングが合わない時もあれば、わざとズラしている時もある。
それはどうしてかと聞かれれば、さぁどうしてかとこちらが聞きたい。
何故だか知らないけれど、足が勝手に方向を変えるんだ。
「陛下は今休憩中ですか?」
「うん、暇だから何しよっかなーって思ってたんだけどさ」
「隊長は?」
「コンラッド?探してるの?」
「いや、隊長にお相手してもらわないのかなーと」
「あー。でもコンラッドは多分剣術の指導中だからな」
「そうですか…」
裏の無い態度で接する陛下に耳が熱くなった。どうかオレの見当外れの考えがバレていないように願う。
恥じるべきは、己の極端で無節操な考えだ。
「ヨザック?」
このお方は、ただ純粋で酷く優しいだけなのに。
「陛下、暇ならオレと遊びます?」
「ホント?」
ぱっと、嬉しそうに笑う姿にこちらも笑顔になる。
やはり陛下は可愛らしいお方だ。性格もまっすぐで、たまに無鉄砲な所も嫌いではない。寧ろ好きな方だ。
そしてそれは皆、思っている事なのだと思う。勿論、隊長だって。
「何します?ボール遊び?」
「うーん、それもいいけどなー…あ」
「?」
肩越しに視線を運んだ陛下が気づいた様に声をあげる。予感はあったが、振り向く前に声がした。
「ユーリ」
「コンラッド」
背後に立つ隊長の姿にわざとらしく「おっ」と声を出してみる。
もう何十年も前に素直さなんて無くしてしまった。
「ヨザック、久しぶりだな」
それでも、温かいその声だけは初めて会った時からずっと覚えている。
声変わりをしても、涙に濡れていても、怒りに震えていても常に、変わらない要素を含んでいるその声は、いつも気まぐれに蓋を開けてきたんだ。
「そうっすね隊長。調子はどうですか?」
「良いよ」
フッと微笑う仕草も、瞼の上の傷も、ずっと変わらない。
変わらないから、切ないのかもしれない。安堵する自分と、それ以上は無いという現実がぐらぐらと揺れるから。
行動を起こすべきか、均衡を保つべきか、どちらが正しかったのかは未だに解らない。
「そういやコンラッド、今日は仕事無いの?」
「ええ、今日はもう終わりました」
「あ、そーなんだ。おれてっきり剣術の指導があるかと思ってた」
「それは明日ですよ」
そう笑う隊長は今までに見た事が無い気がして一瞬、息が詰まった。
陛下は当たり前に見ている表情だから気づかないけれど…。
「隊長、笑顔が…前より優しくなりましたね」
思わず呟いていた。
すると微かに驚いた目で見つめられ。
「そうか?」
どうやら無自覚だったらしい。
瞬間、後悔する自分がいた。
「、それはきっとさ、孫に接するおじーちゃんみたいな顔になってるんだろ?」
間の抜けた様なセリフに陛下を見ると、和む様な笑顔をオレ達に向けていた。
そのままつられて隊長が笑う。
「おじいさん、ですか?」
「うん、そんなカンジに見えるぜおれは。だってスゲー年離れてるしさ。もしくはちっちゃい弟とかをあやすような?」
兄が弟に向けるような表情だ、と陛下は言った。
すると隊長は苦笑を浮かべてから偽り無い表情を浮かべ。
「そうかもしれませんね」
そう笑った。
陛下はそのままオレの方を向く。
「だろ?ヨザックもそう思うよな?」
「…はい」
思わず返事をすると陛下は頷き、にっこり笑った。
と、兵の声がする。
「コンラート閣下!グウェンダル閣下がお呼びです!」
隊長が声のする方を向き、「わかった」と返事をする。こちらに振り向くと陛下とオレと、順に見て微笑む。
「じゃあ俺は行きますね。ヨザック、ユーリを宜しく」
「はいな、隊長」
「またなコンラッド」
「はい、また後で」
いつもの調子で返事をして、隊長の背中を見送る。しかし内心は、居たたまれない感情で一杯で。
「…陛下」
「…何?」
「…気付いてたんですね」
頬が熱くなる気がした。
まさかそんな、陛下が気付くとは思っていなかったから。
甘く見ていた自分が酷く恥ずかしく感じる。
「…違うよ」
しかし陛下は、呟くと俯いて首を振った。
手に拳をぎゅっと握り、地に視線を彷徨わせる。
「え?」
「…おれの為なんだよ」
それは自分に言い聞かせる様で、オレは陛下の方を向く。
「どういう意味ですか?」
聞くと、陛下は顔を上げ、首をゆっくり横に振った。
何故この方は、こんなに悲しそうな顔をしているんだろう。
「おれはきっと、卑怯なだけなんだ」
「……卑怯?」
「…うん」
そう力無く笑うと、陛下はそっと「ごめん」と言った。
それが何に対してなのかは解らないが…オレはそれ以上、何も聞けなくて。
「…仕方ないですよ」
そう言って微笑うのが精一杯だった。
血盟城から兵舎に帰る為に馬を走らせながら、陛下の言葉を思い出す。
『でもな、ヨザック』
『何です?』
『ヨザックの気持ちを知ったのは、今日が初めてなんだ』
『…そうですか』
『…おれの事、嫌ってもいいんだぜ?』
『まさか』
『…そっか』
『坊ちゃん、オレはそんなにヤワじゃないし、そういう気持ちで軽々しく陛下を嫌う事なんて出来ません』
『でもおれはきっと、コンラッドを…』
『…それは仕方ない事です。想いなんて、本人にも止められないんですから』
『ヨザック…』
『第一…もう余りにも長すぎて自分でも解らないんです』
『…恋、なのかが?』
『…そんな可愛らしいモンなのかも、もう』
「…解らないんだよな」
呟くと、手綱を持つ手に力を込める。
陛下の言葉の奥に込められた気持ちの宛ては解らないが…ただひとつ言えるのは、嫌える訳なんて無いという事。
嫌うにはもう、多くを知りすぎたから。
「…あ」
思い出した。隊長のあの表情。昔、血盟城の庭で見たことがあった。
蘇る記憶に1人苦笑する。
「…やっぱり、な」
どうしてすぐに思い出さなかったのだろうか。長い間、オレの中に突き刺さっていた鍵だったのに。
「あの時とまた同じか…」
そしてまた、新しい鍵が音を立ててはまろうとしている。
この鍵は、今度こそもう二度と外れないかもしれないが。
気持ちに気付くのは時間の問題だ。しかし隊長はきっと、伝える事は無いだろう。
それなら自分とて同じだ。
「しかし陛下だとは…」
何処か似てる人に惹かれるな、と思わず苦笑して前を向く。
他に目を向けた事がない自分が言う事では無いが。
でもオレはきっとこのままでいると思った。
ヨザック。
そう呼ばれる度に感じる温かさをもう、手放す勇気は無いと気付いたから。
それならせめて、鍵をかける前にこの感情に名前をつけてやろうか。
「…恋、か」
見えてきた兵舎に手綱を引きつつ、オレは何故か微笑みながらその名を呟いていた。
…可愛らしい感情だ。
end.