端的迷路






部屋に入った瞬間、何となく解った。
香る訳でもないし、聞こえる訳でもない。
それでも其処に、ユーリが居る事が解った。

「…寝てるのか」

上掛けも掛けないでうつ伏せになっている隙間から、綴じた瞳が見える。
定期的に吐息を吐くその姿は室内に差し込む光りに綺麗に照らされて。
スカーフの留め具を机から拾うと、もう一度近くに寄る。
腰を落とすとベッドが少し揺れ、それに合わせてユーリの体も揺れた。

「…へなちょこ」

漆黒の髪に指を通すとゆっくりそれを梳く。
飽きる事の無い仕草を何度も、何度も。
このまま時が止まってしまえばいいだなんて、柄にも無い事さえ思ってしまう。
ユーリはまるで、宝石の様だ。
…なんて思う自分は、末期なんじゃないかとも思う。

「口付けていいか?」

そっと、空気に乗せるように零れた。
どうしようもない程の欲求。口走ってしまった後で、その言葉の持つ意味に苦笑した。
梳いていた髪から手を離して、今度は優しく重みを掛けて、撫でる。

「悪いが…ぼくはいつもこんな気持ちで一杯なんだぞ?」

本音を言う時はどうしてもこう、少しばかり弱々しくなってしまう。
例えば好きと告げようにもなかなか上手くいかない様に、言えない事程口にすると何とも無防備になる。
ゆっくりと、頭を撫でる手に別の熱が重なり。
くぐもった声はきっとこの世で一番愛しい人の。

「…そんな寂しそうな声で、言うな」

「…仕方ないだろう」

どうしようもなく好きなのだから。
そんなに強さを求められても、困る。

「もっと自信持てよ」

「ユーリが持たせてくれたらな」

言葉だけじゃ足りない、と暗にほのめかすと綴じていた瞳がそっと開く。
仰向けになってぼくの手を引っ張ると、その距離は十分に縮まった。

「…何、どしたの?」

「いや…すまない、と思って」

頬に触れた手が温かくて心地いい。
慰めるように目元を撫でる指先に無条件に救われる。
ぎゅっと、優しく抱きしめられると行き場をなくした腕はそのまま硬直した。

「お前はいつも肝心なトコで臆病なんだから」

そんなの、仕方の無い事だろう。
そう言ってやりたかったが見つめられてはそれは叶わず、重なった唇に思考は全てかき消されていった。
啄ばむ舌先に胸が苦しくなって、息もままならない程の優しい口付け。
ユーリが好きで、大切で。どちらを選べばいいのか解らない。
離れた唇の寂しさを隠すように抱きつくと、そっと髪を撫でられる。

「…弱音吐いたりさせて、ごめんな」

耳元で優しく告げられた言葉は心をゆっくりと満たしていく。
零れた本音の無防備さを、ユーリはちゃんと解っている。
そして、恐れる事は無いと教えてくれた。

「…ユーリが好きだ」

「うん…」

「それだけは、わかっていてほしい…」

「…当たり前だろ?」

「…ユーリ」

そう微笑む彼の胸に額を押し付けて何度も好きだと呟いた。
苦しい程の愛しさを幾らぶつけても、ユーリは優しく受け止めてくれて。




ぼくはそれが、愛される事だと知ったんだ。





end.