苦しいね
頭が酷く痛かった。
それは何が理由とか、そんなのはもう解らないんだけど。
どうしても触れたかった。
それは遠い記憶の中のきみ。
淡い淡い流れるような夢の中で、僕はきみを失った。
「……きだ」
「………俺、も」
それはとてものどかな午後で、風は全く吹いていなかった。
だから、囁く様な声も、ざわめくことなく耳に入ってきてしまってた。
長い長い回廊は遠くて、僕はきみの元へ走る。
振り向きながら只、数秒前にすれ違ったきみの元へ。
「……」
だが、きみは叫ばなかった。
「……、ゅ」
それでも一瞬遅れて、大好きな人の名を呼ぼうとした。
「……!」
だけどそれさえ、喉の奥に閉まった。
「…ッ!」
ばらばらと、持っていた荷物が解けていったのを見たんだ。
回廊に響く小さな呼吸がふたつ。
抱きしめられる体がひとつ。
渋谷。
ウェラー卿。
「こっちへ、おいで」
小さく囁くと僕は彼の腕を掴んだ。切羽詰って、無理矢理引っ張っていくような形になったが彼は文句を言わなかった。
ぺたぺたと風のように2人で走る。
もう走れないってとこまで来て、僕はやっと後ろを振り向けた。
「…」
けど、何も言えなかった。
僕は走りすぎで息が上がってたから。
そしてきみは、俯いたままだった。
「ゅ…り」
でも小さく、本当に小さく彼は渋谷の名を呼んだ。
それからたった一言、苦しい、と呟いた。
「…、苦しいの?」
日差しが差す回廊の片隅で、きみは頭を上げなかった。
ただゆっくり、ゆっくり喉の奥から、声を連れてきて。
こみ上げた瞬間の彼の想いを、僕はずっと忘れないだろう。
「……ゅ…りが、…すきなんだ…」
祈りに近い響きの呟きに、時だけが止まった気がした。
空も日差しも風も動いているのに、僕らの時だけが、ピタリと流れを止めて。
その切なる願いは
希望とも絶望とも区別できないまま。
「…知ってるよ」
きみが願い続ける淡い甘美な夢も。
それが夢であるが故に美しいことも。
「…ぼくだって知ってる」
渋谷だって。ウェラー卿だって。
きみの想いはきっと皆知っているのにね。
なのにどうしてだろうね。
「苦しい、ね」
きみの想いは、報われないんだろうね。
こんなの、同情でもないけど。
「………」
それでも。
美しいと思ってしまったんだから、それこそ。
きみの心がいつまでも不安定でいてくれれば。
…なんて事を思ってしまうんだ。
end.