なみだ






愛しくって。
愛しすぎて、振り払った手のひらが痛いよ。




「…っ、はぁっ…」

無我夢中で駆けてた。後ろには影しかないのに、誰も追いかけてきやしないのに。
渋谷に抱きしめられた腕が、背中がまだ悔しいくらいに熱を持ってる。

「っく、っ…」

途中で巫女さんとすれ違ったらどうしようかとか、思ったけど誰にも出会わなかった。
木の扉は記憶の中のまま、ずっとこの場所にあって。
押し開けるとベッドに突っ伏して泣いた。
ううん、本当はずっと泣いてた。

「しぶやっ…」

ほら、直ぐに口にしてしまうのはきみの名前なんだ。
バカみたい。バカみたい。本当にバカみたい。
まだこんなに新しく泣けるなんて、僕はどうかしてる。

『おれ、お前の事忘れるの嫌なんだよ』

全部が綺麗に元通りになったらって思った。
僕が渋谷の分も2倍苦しめば渋谷は僕を愛した事、忘れてくれるんじゃないかって思ってた。
でも僕は今でも渋谷を心底好きで。
渋谷も僕を、好きだって言って。

「…どうして」

どうしてこんな気持ちになったのかな。
いつの間に渋谷が側に居て、それはずっと前からだった気がして。
それまでの日々が薄れて、世界が少しずつ光を増やしていって。
渋谷がいなくなったらって思ったら、急に怖くなった。

『村田の事が好きだ』

そう言われてやっと、それってそういう意味だったんだって気付いた。
渋谷に触ったらもっと、世界は綺麗に色付いて。
愛してるって言われたらもう渋谷以外見れなくなった。
渋谷が僕の心を半分持って行ってしまって、渋谷がいないと心がちゃんとしてくれなくなったんだ。

「…」

もう渋谷は此処に来ないのにぬくもりだけは、どうしても消えて行ってくれない。
空間一杯に染み付いて離れないんだ。
この部屋で初めて抱いてくれた日からの全部。
優しく笑う瞳も、抱きしめる時の胸の温かさも、腕の中の僕の指定席も。
鼓動の早さも、くだらない話も、はしゃいだ時間も。
胸が痛くなる見送りも、ソワソワしてしまうお迎えも。
渋谷が僕に吐いた優しい嘘の欠片も、僕が吐いた嘘の痕も。
沢山の言葉も、沢山の仕草も。
綺麗な涙の色も。
最後のキスの味も、においでさえも。

「だけど全部、忘れたくないよ…」

渋谷だってそう思って居るなら、僕達が幸せになれる道を探したかった。
でもそれって、どこにあるの?

「…もう、もう僕にはわかんないよ…」

コンパスもなくなった。
地図なんて最初からなかった。
でも痛みだけはずっとずっと、僕等の後を着いて来た。

「…っ」

写真立ての中の肖像画が僕を見つめる。
どうしてこうなったか教えてあげるって。
こういう運命だったんだって。
惹かれ合って当然だって。
だって。

「…うるさいっ!!」

バン、とそれを伏せてベッドに倒れる。
耳をつんざく様な悲しみの音に耳を伏せて、必死に泣いた。
懺悔のつもりだったのに、渋谷の為にしか泣けない自分が悲しかった。