夕暮れ
−猊下をお見かけしませんでした?御用があるのですが…
−いや、こちらには来てないよ…ユーリは知っているかい?
−さぁ、どこに居るのかなアイツ?
本当は知ってる。村田が今何処に居るかも、そこへの行き方も。
でもおれはもうそこへの行き方も知らないし、村田が居る場所もわからない。
全てが元通り。
全部が無かった事になる。
おれと村田が、同じ感情を抱く前に戻ったんだ。
「…アオ、元気にしてたか?」
柔らかな毛に触れた手の平が埋もれていく。
こんな風におれ達も、表面からは見えなかったお互いの深い部分に手を添え、踏み入れた。
埋もれていく感覚は、まるで相手の一部分になっていくみたいで。
それは時に狂おしい程の切なさで、甘さでおれを満たしてくれた。
その部分が今は物凄く、冷たい。
「…慰めてくれるのか、ありがとう」
髪に擦り寄る濡れた鼻先に笑いながら、もう一度背を撫でるとその場を後にする。
暮れかけた空に小さく星が光りだして、おれは思わず足を止めた。
空は綺麗だったけれど、それよりも心臓を揺らす人物がそこに居たから。
「村田」
「…渋谷」
少し驚いたような、予期していたかのような顔。
広い城だけれどおれ達の行動範囲は限られているからバッタリ会うのも珍しくは無い。
だけど、2人だけで会うのはあの日以来だった。
「…渋谷、元気にしてた?」
当たり前のような笑顔で、おれに話しかけてくれる村田が嬉しくて、悲しい。
おれはきっと笑っていないだろうに、おれに笑いかけてくれる村田の心情が、今だってはっきり解る。
「おう、元気だぜ!…その荷物は?」
元気って何だろう、そう思いながらおれ達は芝居を続ける。
本当は今すぐに抱きしめて、キスをして、解り合いたいと願うのに。
「巫女さん達に捕まっちゃってね、雑用。馬屋に運んでおけって」
両手に持った薪の束を心持ち持ち上げて村田はこっちに近付いてくる。
それは馬屋に行こうとする為だけど、おれはそれを制止する。
「半分持ってやるよ、重いだろ?」
「平気だよ、僕だって男だからこれくらい持てるさ」
「じゃあ持たせてよ、もう少し村田と一緒に居たいんだ」
じれったくなって言うと、反射的に顔を上げられる。
ポーカーフェイスな村田が一瞬、おれを好きでいてくれた頃の瞳でおれを、見てくれた。
そうしたら、気持ちが止まらなくなって。
「…渋谷」
「なぁ、おれまだお前の事」
「やだ!」
好き、と言う前に村田はおれの声を制止する。
ぶん、と首を横に振ると、途端に村田は、いつもの調子を無くしてしまう。
「むらた」
「ダメだよ、僕達はもう終わったんだから」
手に持った薪が音を立てて、地面へと落ちる。
だけどおれの伸ばした手は、しっかりと村田を掴んでいた。
腕の中に抱きしめて、ぎゅっと抱きしめてもう離したくないと心底。
「好きだよ」
「…っ、離してよ」
「どうして?」
「だって僕達はっ…」
じゃあ、なんで泣いてるんだよ。
目に涙を一杯溜めて、おれを睨むんだよ。
好きなんだ、好きなのにどうしておれ達は一緒に居られないんだよ?
「おれ、お前の事忘れるの嫌なんだよ」
「忘れていいよっ、」
「何で?おれだけが忘れて村田だけがずっと覚えてるなんて嫌だよ」
いつか忘れる痛みだなんて。
永遠なんてないと言われた気がした。
それでもおれは、こんな歯がゆい気持ちのまま居たくないんだ。
それを村田がエゴだと罵っても。
「離してっ」
「嫌だ」
「っ…渋谷は前みたいに戻りたいの?それが僕達が好き合ってるって事なの?」
涙を拭う事無く、村田はおれを見て叫んだ。
強く押し返されて離れた体は、お互いの距離を生んだ。
感情の温度差は、分け合う事さえも出来ないまま。
「くっついて抱き合って幸せを分け合って、それだけが好き合ってる事?」
村田は悲しそうに、悔しそうに俯いて首を振った。
おれの事を拒むように、夜に染まりだした空の下で。
「僕も渋谷が好きだ、今だって…でもだからってもう、前みたいに戻る事は出来ないんだよ」
「それは解ってるけど…」
「それならもう辞めよう?僕を好きならその事を忘れて欲しい…」
「なんでっ…」
「僕は渋谷が好きだから、…だから、離れたんだよっ…」
「…っ」
「ねぇっ、わかってよ…っ!」
最後は懇願に近い声だった。
踵を返すと村田は、立ち尽くすおれを残して今来た道を走って行く。
だけどおれには、追いかける事も呼び止める事も出来なかった。
「…どうしてだよっ!」
地面に向かって、やり切れない想いを叫んだ。
頬は酷く冷たくて、おれもいつの間に泣いていたのだと気付いて悔しくなる。
辺りを夕闇が包んでようやく、おれは村田が置いて行った薪を拾う事が出来た。
好きだから一緒に居れなくなったのに、未だにその感情に支配されてるおれ達は何て愚かなんだろう。
村田の事を、それでも好きだと思う自分は何て愚かなんだろう。