スープの冷めない距離










「うう…コンラッド、いい匂いだけじゃもう我慢できないんだけど」

「はいはい、今出来ますからね」

厨房の隅にあるテーブルに突っ伏しながら、コンラッドの大きな背中を見つめる。
身長のせいで少し猫背気味になっているのが『男』と『料理』という感覚のギャップを更に濃くする要因だと思った。
でもコンラッドには、何をやらせても様になるから困る。

「コンラッドが料理出来るって何か意外」

「そうですか?」

「ていうか、おれんちは親父が料理しないからかな。男の人が料理するっていうのが不思議というか」

「あぁ。俺の父親は日頃から料理をしていましたからね。俺も軍にいた頃はよくしていましたよ」

「そっか、環境の違いってヤツだな」

考えればシェフだって男が多いし、ケンタローだって男だ。コンラッドが出来るというのも無理はない。

「ユーリは料理、しないんですか?」

「おれはカレーくらいしか作れないよ」

ジェニファーに仕込まれたのはそのくらいだ。
餃子を包むとか、コロッケを丸めるとかはよく手伝わされたけど、いかんせん不器用だから兄貴が良く形が悪いだの不味そうだのと嫌みったらしく言っていた。
だから、そういうのは得意な人がやるべきだと思うわけで。

「ユーリの料理は豪快そうですね」

「おそらく。てゆーか未だに包丁の扱いが良く解らない」

ナイフも使えない魔王が、剣術の修行を頑張るとかちょっと笑える。
どっちも同じ刃物なのにおれは林檎の皮も上手に剥けないんだろう。

「そうなんですか?」

料理をしているコンラッドは絶対にこっちを振り向けないから、ここぞとばかりに背中を見つめてみる。
じーっと、じーっと。穴が開いたら困るけど、それくらい。
おれがどんなに頑張ってもその骨格は手に入らないもので、だから羨ましいとか思っちゃうんだけど。

(…何でも出来るって、それだけ嬉しくて、切ないものなのかな)

好きなヤツとして、の話。
恋人がこうもパーフェクトだとこっちとしては焦りを感じてしまう。
おれにも何か、コンラッドが出来ないことが出来るといいのに。

「さ、出来ましたよ」

「おー、美味しそう」

二つの皿に盛られたのは大豆とか肉とか野菜とかが入った、ちょっとカレーにも似たスープ。
いただきますをすると、先割れスプーンですくって口に運ぶ。

「どうかな」

「うん、美味しいよ、ちょっと辛くてでも丁度いい」

男の料理って言うと炒め物とか、焼いた肉とかそういうものを想像してたけどスープが出てくるとは。
でもお世辞じゃなくて美味しい。

「辛いものは体を温めるから、よく戦場で食べたんです。と言っても、適当に入れて煮込むだけの料理ですが」

「でも美味いよ、おれはこれ、好きな味」

「そうですか?良かった、気に入ってもらえて」

嬉しそうに笑ってスープに口をつけるコンラッドをちらりと盗み見する、この距離。
スープの冷めない距離って所謂こういうシチュエーションなのかもしれない。
ふ、と目が合うとコンラッドが不思議そうに目を瞬かせた。

「どうかしましたか?」

「いや…何かさ、コンラッドっていい奥さんになるよなーって思って」

「え?」

「だっておれの理想するいい奥さん像にピッタリなんだよな、家事が出来て、気が利いて、しっかりしてて、優しくて」

「ゆ、ユーリ…」

ひぃふぅみぃと指を折りながらコンラッドとおれの理想像を照らし合わせていく。
別におれは奥さんを目指しているわけでもないけど、男の割りにそんなところまで器用なコンラッドに少し嫉妬しただけだ。
ちょっとだけ眉根を寄せて、コンラッドを見据えると口を尖らせる。

「なぁコンラッド、おれにも何か、コンラッドより出来る事って無いかな?」

「…それって、奥さん志望として、ですか?それとも俺が奥さんなんですか?」

「は?いや、おれは男として…」

「つまり…俺が、ユーリの奥さん役だと?」

「ん?」

何だか話がうまくかみ合っていない気がする。
目の前のコンラッドの様子も少し変だ。頬の辺りが、赤いような…。

「コンラッド、顔赤い?」

「え?」

「もしかして辛いの苦手とか?」

「…」

首を傾げるとコンラッドが呆気に取られた顔をしてから難しそうに目を伏せて、そう思ったら恨みがましい目でじいっとおれを見てきた。
何だ何だ?おれ、何か変な事言ったかな。

「…俺の顔、赤いって言いましたよね」

「あぁ、うん…」

「どうしてかって…解らないですよね」

「…う、ん。解らない」

首を縦に振ると、コンラッドはちょっとだけ拗ねた顔をした。
その仕草に思わず目を見開く。何か、予想してなかった顔をされたぞ今。
でもその驚きはコンラッドが伸ばしてきた指によって消えてしまう。

「ユーリが俺より出来る事なんて、有り過ぎです」

「え?」

頬に触れた指先はあったかくて、おれの体を石にするには魔法も要らない位。
そのままガタン、と椅子が音を立てるのを聞いたが最後、おれはコンラッドの顔から目が離せなくなる。

「俺は…」

コンラッドの唇の動きを追うと、自分のそれに合う位置に持ってこられて。
くい、と上げられた顎に触れた指先がくすぐったくて、それだけで腰が甘く鳴った。
ちゅ…と触れた唇の温度に驚きながらも、離れた視線の先にコンラッドのまつげが揺れて、目を瞑る。
スプーンを持った手はそのままで。
熱を持たせる為のキスとは違う、触れるあったかさを分け合う為のキスは直ぐに終わって、コンラッドの瞳がそっと細まる。

「ユーリにはきっと、一生敵わない」

…その台詞はまさしく、おれが今言おうとしていたものだ。
いや、言うよりも、思うよりも早くコンラッドが言ってきたからおれの負けかもしれない。
よくわかんないけど、おれがコンラッドのスイッチを押したのは間違いないんだろう。
でも結果的におれの心臓はありえない位にバクバクいってる。

「ばか、おれの方が敵わねぇよ…」

小さく呟くと、身を乗り出したままのコンラッドを見据える。
気恥ずかしくてスプーンをスープに突っ込むと、視線を無視して口に運んだ。
斜め上から苦笑が漏れるけど、それがわざとらしくないから余計に頬が熱くなる。

「あー、美味いなぁこのスープ!」

「それは光栄です、陛下」

「ばっか、陛下って呼ぶな」

「手厳しいなぁ」

ガタンを椅子をまた鳴らして、コンラッドが座った気配がする。
照れ隠しに決まってるだろ!と心の中で唱えると、それを察したかの様にぽん、と頭に何かが乗せられた。
手のひらだ。

「っ」

反射的に顔をあげると、コンラッドの笑顔がそこにあって。
悔しいけど、すっごい格好いい。

「また、スープ作りますね。今度は違う味の」

その器用さが羨ましくて、ちょっと不安で、でも、それ以上に多分、大好き。
言葉はスープと一緒に飲み込んでしまったけど、おれは目を伏せないで呟く。

「……る」

「え?」

「…おれも、作る。今度は一緒に」

それならちょっとでも、コンラッドの隣に居る事を自分で誇れるように。
そんな存在になれるように。
そうなりたいと思ったのはコンラッドのお陰だから。

「…はい、喜んで」





おれ、出来ればずっと、スープの冷めない距離にいたいんだ。