ジレンマ
何がいいのか
何が欲しいのか
言えるわけない
それは ジレンマ
「コンラッド?」
「え?」
隣から疑問符を含む声をかけられ、ハッと横を見る。脇を走るユーリと目が合う。漆黒の瞳がいつもより少し大きくなって、不思議そうに俺を見ていた。
「すいません、何か仰いましたか?」
「いや、何も言ってないけどさ。遠い目してたから」
白い息を吐きながら走るユーリはふわり、と笑う。
「コンラッドがぼーっとしてるなんて、珍しいな」
「……そうですね」
「へ?自覚してんのかよ」
「うーん…そうかな」
「何複雑そうな顔してんだよー?」
可笑しそうに笑うユーリ。つられて自然に笑みがこぼれる。
自分でもどうかしてると思う。
ユーリの事ばかり考えてしまう。
ロードワークも中盤に差し掛かり、丁度いつも休憩をとる場所に着くとユーリは腰を降ろす。その隣に座ると、足先の芝が朝露に濡れて光った。
「今日も寒いなー」
「そうですね、日本も冬はこれくらいの寒さなんですか?」
「うん、雪が降った日は学校行くの辛かったなぁ」
何気ない会話の中でもユーリは目まぐるしく笑ったり、真面目な顔つきになったりする。見ていて全然飽きなくて、もっと見ていたくて。
胸の奥から自然に笑みが溢れる。
「……、」
「?」
ふいにユーリが言葉を途切らせ、ふっと目を逸らした。
「ユーリ?」
「…?」
軽く俯くユーリ。一体何だろうと思ってのぞき込もうとすると、耳がほんのり紅い事に気づいた。
「…どうしました?」
「い、いや別に?」
さっ、と顔を上げるとこっちを向く。頬も何だか桃色で、そのまま話を続けようとする。
素直、だと思う。
でも、素直過ぎて…、何だかこちらが恥ずかしい。
最近日増しにユーリへの想いが強くなっている。それはユーリとずっと一緒に居るから、というのもあるけれど。
「こっちにも雪は降るんだよな?そろそろかな?」
「もう少し寒くならないと降らないかな…ユーリは雪は好きなんですか?」
「うん、好きだよ」
"好き"という言葉がやけに響いた気がして、次の言葉を紡ぐのに少しだけ時間がかかる。
「…そうですか、俺も」
好きですよ、そう答えると。
「…うん、そっか」
嬉しそうに、確かめるように呟く。
その時のユーリが必要以上にはにかむのも、意味無く頬を染めるのも、
…きっと同じ気持ちだから。
そう思う度にどんどん愛しさが溢れてきて。
連れ去ってしまえたらどんなにいいだろう。
罪を背負うのが自分だけでいいのなら、きっと独りよがりに愛してしまうのに…。
貴方は、大切な人。
だから自分からは何もしない。…それは、なんだか逃げみたいだけれど。
「…あ、寒くないですか?」
座ってから少し時間が経ちすぎた。汗が引いてしまえば風邪をひいてしまう。
「…すこし」
「じゃあそろそろ戻りましょうか。全く、寒いなら早く言って下さいよ」
貴方はいつも自分の気持ちを隠すからね、と笑いながら言った瞬間、しまったと感じた。
「……え」
明らかに驚いた瞳をこちらに向けられる。動揺の色がちらつく。
「…っと、」
慌てて口を噤むが、既に口を滑らせてしまったので意味が無い。
ユーリが口を少しぱくぱくさせる。…でもきっと貴方は何も言わない。
「…そっかな。じ、じゃあ行こうか?」
わざとらしく言うとユーリは背を向けて走り出そうとする。しかし
「ひゃ」
「ユーリ!」
ズルッ、と芝に滑る。思わず両手を差しだし、背を抱え込む。ユーリはすっぽりと腕の中に収まる。
「危なかった…」
ふぅ、と息をつく。ユーリが転んで怪我でもしたら教育係がまた涙を流すだろう。
「大丈夫ですか?」
「うん…、どうにか」
腕を引き上げユーリの後頭部を胸に押し当てる。しゃんと立たせようとしたら丁度唇が頭に当たった。
「あ、すいません」
瞬間、ユーリの耳が真っ赤になったのに驚いた。
「あ…あ、ご、ごめん」
明らかに動揺した声でそう言われてしまえば。
……愛しすぎる。
抱きしめてしまいたい。言ってしまいたい。好きと、大好きだと。
「いえ…、怪我がなくてよかった」
気持ちを伝えたい心とは裏腹にすらすら言葉が出てくる。抱きしめたくて仕方ない両手はユーリの肩をそっと押して、離れる。
貴方は、大切な人。
俺だけじゃなく、皆の大切な人だから。
俺が想いを伝えるなんて事はしてはならなくて。
だけど貴方がもし、言ってくれるなら…
俺はこのジレンマからきっと解放される。
どうすることも出来ない愛しさから、切なさから、解放されて
貴方だけを抱きしめてしまえるのに。
「…さぁ、行きますか」
前を向いているユーリに向かって声をかける。ユーリは赤い頬を隠すように下を向き、うん、と呟いた。
「ユーリ?」
「……ごめん、ちょっとだけ、下向かせてて?」
そう言って走り出す横顔の目線は地を見ていて。頬は寒さを忘れたように赤く染まり…。
やっぱり貴方は言わないままで。そんな貴方が好きで仕方ない。
不安定な気持ちが、溢れそうで、溢れなくて。
「…はい」
伝えてしまいたい気持ちをそっと押し込めて、愛を込めて返事をした。
end.