三番星、大事なマフラー。





「本当にごめんなさい!」
「大丈夫ですよ、もう結構古いし」
「でも…すみません、あの、よろしければ弁償させてください」
「ああ、本当に気にしないでください。その気持ちだけで十分ですから」


「…うーん」
マフラーを押しこんだカバンを抱えながら駅までの道を歩く。少しだけスースーする首元は心許なくてぶるりと肩を震わせた。
だからと言って首に巻ける物が無いので仕方ない。マフラーはさっきダメになってしまったのだから。
まさかあんな風にマフラーが持っていかれるとは思わなかった。
会社のエレベーターホールで、駆け込み乗車しようとした女の子の抱えていた資料がそのままマフラーを連れ去ってしまった。
幸いな事に首にかけては無かったけど、エレベーターのドアが閉まると同時に僕はマフラーから手を離す他無かったんだ。
いきなりの事すぎて珍しく慌ててしまい、開くボタンを押す間も無く、無情にもマフラーは切れてしまった。
「あーあ…」
僕の大切にしていたものだったのに。
でも、相手の子も本当に申し訳なさそうにしていたので怒る気も失せてしまった。
別に悪気があった訳じゃないし。
「…でも、弁償は出来ないんだよなぁ」
どこにでもあるみたいだけど、世界にたった一つのマフラー。
二十歳の冬に渋谷がくれたもの。

『ちょっと早めの、クリスマスプレゼント!』

眞魔国で作って来たっていうそれは、上等な毛を使ったとても上品なものだった。
渋谷がしてるような青とか白とかのものじゃなくて、もうちょっと落ちついたやつで、わざわざ僕の好みを考えて作ってくれたもの。
どうしてあの時マフラーをくれたのか、それは僕が『冬は寒いから辛いなぁ』って言ってたからだと思う。
意味を素直に受け取ったのか『村田が寒いって言ったから、マフラー作ってもらった』って渡してくれた時は、思わず首を捻ってしまったけれど。
あれはね、人恋しいなって意味だったんだよ。
そうでなきゃ表参道のイルミネーションを見ながらそんな事呟かないと思うんだよね。
でも、そんな渋谷の優しさに驚いて、同時に凄く嬉しかったんだ。
…あ、やっぱりちょっと、腹立ってきたな。
でも無くなっちゃったものはもう、どうしようもないし。
ぐるぐると考えながらも電車に乗り込むと、その空間だけは妙に暖かくて僕はほっと胸を撫で下ろした。
すると待ち構えたかのように携帯のバイブが鳴る。
「っと」
何気なく携帯を開くと、会社の同僚からだった。何か用事かと思って画面を開くとそこには、さっきの女の子が連絡を取りたがっているという内容だった。
アドレスを教えても問題ないか、という文面に、思わずカバンに目を向ける。
「…」
思わぬ展開に急にそわそわし始めると、電車が駅に滑り込んでまた、人がワッと乗り込んできた。
携帯を見るのを一時中断して人波に埋もれると、暖かさが増した電車はまた動き出す。
個人的な連絡先を聞かれるなんてそんなに無い事だから、妙に落ち着かない。
しかも女の子になんて…と照れる程、実は経験が無い訳でもないのだけれど。
それでもやっぱり、ちょっとした事件だ。
でも…どうしたものかね。
「きゃ」
ガタン、と電車が動き出すと、衝撃によろけた女の子が僕の腕に当たってきた。後ろを向いていたその子は振り返ると小さく会釈をする。それに大丈夫ですよ、と笑いかけると安心したように笑って、また背中を向けた。
…あの子も、これくらいの背丈だったなぁ。
同僚のメールでは彼女は総務課の子らしい。総務課と言えばうちの会社では可愛い子揃いで有名だ。勿論、あの子もとても可愛らしかった。
これは絶好のチャンスなんじゃないかって、もう一人の僕が囁いてるのも知ってる。
「!」
その時、ポケットに入れた携帯がバイブ音を響かせた。微かな振動を感じて取り出すとメールを受信している事がわかる。
開くと、そこには見慣れた文字があった。TO.渋谷有利。
内容は至極簡単なもので、数日後に会う約束の確認だった。久々に飯でも、という事で前々から予定を合わせていたのだ。
あぁ、渋谷からか…と返事を打とうとして、ふと指が止まった。
そう言えば、渋谷も今フリーだったっけ。
数ヶ月前にそう言ってたから、もしかしたら今もいないのかもしれない。
募集中、とも言ってたよね。
「…」
渋谷に返信を打とうと開いた画面を保存に切り替えて、同僚からのメールに返信すべく画面を開く。アドレスを教えても大丈夫、とメールを打つと、考えが変わらない内に送信のボタンを押した。
だって、冬は寒いもんね。
そう呟きながら渋谷へのメールを打つ。カチカチとボタンを押して、そのまま送信を押す。
『了解。そう言えば渋谷って今、彼女いる?』
パタン、と携帯を閉じて息を吐くと、電車は最寄り駅に着いたところだった。
開いたドアから吹き込む風に目を瞑りながら外に出ると、人の波に乗って出口に急ぐ。
改札を出て漸く足取りを緩めると、夜風が首に当たってとても寒い。
「あー…さっさと帰ろ」
カバンの中のマフラーを思うと少し憂鬱で。でも、新たな繋がりができるかもしれない。
数日後に会う渋谷に残念なニュースしか無かったから、これはせめてものお詫びになればいいだなんて、ちょっと狡いかもしれないけど。
ポケットの中にしまった携帯は、僕が家に着くまでずっと静かなままだった。