二番星、風邪をひいたら。





何度目のコールかで、村田は出た。電話に。それはおれからのであって、それはきっと、向こうだって解っている。
『もしもし?』
そのもしもし、にもしも、期待とか、そういう想いが込められているんだったら神様、どうかテレパシーで教えて欲しいんですけど。
「…えっと、おれ」
『珍しいね、どうした?』
ホント、どうしたって話なんだけど。何故か知らないけど指が村田の電話番号押してたとか、そんな事あるわけ無いんだけど、知ってるけど。
…白状するさ。ああ、声が聞きたかっただけです。
「…いや、どこにいる?ざわざわしてる」
―なんて、話を逸らす自分にちょっと後悔。
『ああ、飲み会。会社のね。ちょっと待って』
ガザ、という不協和音と村田の声が受話器の向こう、少し離れた所から聞こえる。すいません、とごめんね。ごめんねって言う相手は、同僚か、はたまたかわいこちゃんの後輩か。
…っておれ、ばっかでー。
『…で、ああ、ごめん。ちょっと静かなところに移動しました』
「あぁ、ごめん!気を…遣わせた」
『うんにゃ、だって何だか渋谷の声、沈んでるみたいだから。何か相談事?もしくは愚痴?』
「…えーと」
―例えば村田の良いところを挙げるとしたら、電話は必ずしも用事を伝えるための手段じゃない事を覚えておいてくれる事だ。急にかけてもこんなに普通に、どうでもいい話だってオッケーですよって言ってくれるそんなところが、好きだなとか思ったりして。
流石は世渡り上手。とかそれはおれの勝手な羨望と嫉妬だけれども。
「おれ、風邪ひいてさ」
『うん?』
「何かね、物悲しくなった」
『…あぁ、そういう事か。ベッドで一人、静養中って事?』
含む笑いの表情さえも、この距離では読み取れない。村田の心のスペースはきっと、今ちゃんと満たされてる。
それに比べておれのなんと寂しい事か。
「うんにゃ…なーんにも、無くてさ。冷蔵庫。だから買い出し。何か精のつくもの、知らない?」
『出歩いて大丈夫なの?』
「あんまり。だめかもおれ、スッポンでも食べてベッドにダイブでもしようかね」
クスクス、と電話の向こうで笑うのが聞こえた。マフラーの間からおれも同じ様に息を吐く。くすくす。
『体をあっためるには生姜とか?おじやとか、鍋とかさ』
村田の口調が柔らかくて、少し飲んでるのかも、と思う。それとこんなにこのくだらない電話に付き合ってくれるのはきっと、ただの付き合いの飲み会だから。
「うん、いーかも。なぁ村田、作りに来てよ。今から」
『えー?』
「新宿辺りだろ?したらおれん家近いじゃん。ぐるっとヤマノテで一本」
『でもなぁ』
「ねー村田、お願い。おれ寂しい。一人凍え死ぬ。手料理振舞って。あ、女にやってもらえって言ったらゼッコーだからな。いねーもん、そんなの」
『…まぁ。全くわがままな王様だこと』
村田の声はまだ答えを出していないから、おれの期待は寸止めのままだ。転べば嬉し、はたまた悲し。
だけど村田はいつも優しいから、おれの欲しい言葉をくれる。…そんな気がするだけだけど。
『わかった』
「マジ?」
『うん、今から向かうよ。丁度そろそろ一次会終るし。だから三十分くらいかかるかな、待ってて』
柔らかい声がおれの一番待っていた単語を告げると、途端に気分はぐるりと一周して。
ホントに来ちゃうの?
「え、でも村田、飲み会後で疲れてるんじゃ」
思い通りに事が進むと、途端に怖気ついてしまうのはどうしてだろう。村田がわがままを聞いてくれるのが凄く嬉しい筈なのに、どうしてか遠慮しようとしてしまう。
『大丈夫だよ、明日は休みだし。それに親友の為ならこれくらい』
「…」
甘やかす様に受話器の向こうで漏れる声に、おれは足を止める。信号待ちの大通りには車がライトを点けてたくさんすれ違っていく。
良く解んないけど、胸がぎゅって痛くなるのはどうしてだろう。
『…渋谷?』
嬉しい筈なのに、勝手に期待して勝手に傷ついて。
「…サンキュー」
『ううん。僕特製のたまごねぎおじや作ってあげるから、卵とネギは買っておいてね』
「わかった」
『じゃあまた後で電話するね』
「おう」
携帯を切ると丁度信号が変わって、おれはまた歩きはじめる。
周りには包んでくれるざわめきも温かさも無くて、思わずポケットに手を突っ込んだ。
本当は断られて寂しい気持ちを倍増させながら一人買い物に行く予定だったのに。
「…村田はどこまでもおれに甘いよなぁ」
いつだって、おれのわがままを聞いてくれる。
困った様に笑って、仕方ないなって言いながら。
でも、その意味を履き違える事だけはしちゃいけない。
それがおれにはちょっと…どころか、凄く、切ない。

…嬉しい筈なのに、勝手に期待して勝手に傷ついて。

でも。

ああ。


「…それでも嬉しいや」