一番星、信号を渡る日





―好きな人が、いる。



好きだって気付いたのは大学二年の冬で、丁度おれ達が二十歳になって初めて迎えた冬だった。
それからもうすぐ五年。おれは未だに、同じ人を好きで居続けている。
自分でもバカみたいだとは思う。この恋は、そう簡単に叶うものなんかじゃないのに。



「しーぶやっ」
「お」
肩を叩かれて顔をあげると、スーツ姿の村田が笑っていた。くせっ毛は未だに直らないのか、ワックスでふわりとした具合に誤魔化しつつある。その姿が前に会った時と大して変っていない事にホッとすると、おれも漸く笑顔を返す。
「久し振り、前回会ったのいつだっけ?」
「んー、ビアガーデン行ったから、そんな遠くは無いと思うけど。七月の初めかな?」
嘘吐け、と心の中で自分に舌を出す。いつだっけ、なんて。本当は何月何日かも知ってるくせに。七月六日の火曜日で、ビアガーデンの割引券をもらったから誘ったんだ。丁度お互いの会社の最寄から中間地点だったから。
…なーんて事も、全部何度も繰り返し唱えた言い訳だったりして。
「で、どこ行く?僕もうお腹ぺこぺこ」
「んー、テキトーに居酒屋、それかちょっと奮発して焼き肉」
「あー、久しぶりに焼き肉もいいねー、サンチュにぐるぐるって肉巻いて頬張りたい」
「じゃあ決定な」
そう交わすとネオンの光る駅前の看板通りを抜けて、目的の店へと向かう。焼き肉と言ったらココ!という店は前から決まっていて、それは社会人三年目となった自分が何時の間に身に付けたスキルなのかもしれない。
数年前まで全然知らなかった街の、行く機会も無かった店が今は居場所の一つになってるなんて、十代の頃には想像もつかなかった。でも今こうしておれと村田は大人になって、酒を飲み交わしながら食事をする様になった。
珍しかったスーツ姿も、今はもう随分と板についている。
「お、今すれ違った子可愛い」
「僕もそう思った。どこのOLさんかね?」
こういう話も、気軽に交わせるようになって、おれと村田は着実に、サラリーマンとしての生活を過ごしてしまっている。
勿論、眞魔国にも召喚されてはいるが、それは以前の様に突発的な物では無く、自分の意思で左右出来る様にはなっている。おれは相変わらず魔王の座に就いてはいるが、実質的な国の政はグウェンに任せている部分も多い。
いっその事、魔王の座を譲ろうとしたのだが、眞王がそれを許さないとか何だとかで、結局おれは今でも眞魔国と地球の行き来を繰り返している。
「…で、きみは最近あっちには行ってるの?」
店に着いて最初の一杯を飲み干した後、村田は切り出した。
「うんまぁ、ぼちぼち。一応時間の流れもあるからそんなに長くはいれないけど…」
あっちで数日過ごすとこちらでは一晩経つ、といった具合ではあるが着実に時間は流れている。なのでそんなにあちらにも行けないし、だと言って行かないのもマズイ。暫く感覚を空けただけであっと言う間に一年経ってしまったりしているのだ。
それでも、高校生の頃みたいに頻繁に呼び出されて長期間滞在する、という事も減って、今では自分のペースであっちに行く様になった。仕事でそこまで疲れていない週末なんかは、グレタの顔も見たいしふらりと眞魔国に顔を出す。
自宅の風呂にお湯を張って行くのだが、冬場は気を付けないと帰った拍子に風邪をひいてしまうというちょっと困った弊害もあったりする。ちなみにもう、家を出て都内で一人暮らしをしている身だ。
「へぇ、平和になったもんだねー」
「それはこっちだって言えることだろ。何て言うか、こっちだと感覚が鈍るな」
「こっちじゃ、いちサラリーマンだもんね、お、肉来た」
両手に皿を持った店員がテンション高めでやってくる。派手に装飾した名札が地味目の制服に比べて妙に際立つ。
注文したものを置いて行くと、村田が鼻歌混じりに早速肉を投入していく。
「ね、今の店員渋谷と同じ名前が書いてあったね。『ゆーり』って」
突然名前を呼ばれておれは少し焦った。「あぁ」と返事を返しながらも内心は村田がおれの名を呼んだ事の方に気を取られてしまう。
「ゆりちゃんかなぁ、本名。あだ名書いてる店員多いもんね」
「そんなところじゃねぇの?珍しい名前だもんな、ゆうりって…健はまぁ、けっこう居そうだけど」
「漢字は一緒でも、読み方が違うのも結構あるよ。たけしとか、たけるとか」
おれが村田の名前を口に出すのも本当に数少ないと思う。だけど村田はそんな事に気付く訳も無くて、気にする訳でもない。
まぁ、それが当たり前なんだけどな。
「ホラ、焼けたよ」
サンチュに手早く包みながら、それをスマートに差し出す村田はやっぱりどこか器用だ。別にそこまでしてくれなくてもいいのだが、村田の少々世話焼きなところもおれは気に入ってる。
「流石、デキる男は違うな」
「デキるって、サンチュに肉とナムル巻く位でデキちゃうなら世の中子供だらけだよ」
「…うわ、オヤジ化進行中」
「でもウェラー卿よりかは捻ってるでしょ?あ、彼は下ネタはNGかな」
ニッと笑って自分用のも作ると、ぱくりと口に運んで途端に嬉しそうに笑う。
美味いなー、と呟いてビールを口に運ぶ仕草がサラリーマンっぽくて、おれも同じ様に味わってみる。贔屓にしている店だけあって肉は美味しいし、酒も手伝って尚、体に染みる。眞魔国もお酒は美味しいのが多いけど、こっちの生ビールに似たものが無いのが少々残念でもある。
おれがビール会社の社員だったら、技術をあっちにも持っていくのにな、なんて思うのすら楽しい。
ああ、良い気持ちで酔ってる。
これだったら久々に、あの話題も出せるかも…。
「でさ、」
「そう言えばさ、」
「お…村田からどうぞ」
「いいよ、渋谷からどうぞ」
「いや、おれのは大したことじゃないから後でいいよ」
切りだそうとした話は村田と被ってしまった。おれからで、と促す村田を阻止してどうぞと手を出す。
だっておれの話なんて、ただの下世話な事だし。
そういう意味も込めて笑うと、村田が少し酒を飲んでからまた喋り出す。
「えーと、渋谷は何時頃あっちに行くっていうのとか考えてるの?」
あー、その話か。そう言えば最近そういう事も話してなかったな。
「一応三十歳位まではこっちで社会勉強をして、その後は眞魔国で王様として生きて行こうかなぁ、とか考えてるけどさ」
「そうなんだ」
「わかんねーけど、おれあの頃からあんまり年取って無い気がするんだ。だからもしかすると、長生きしちゃうんじゃないかなって思ってたりして。それだったら今行かなくても、もうちょいしてからでもいいかなぁってさ」
「うーん、普通の人よりは少しくらいは長生きするかもだけど、完全な魔族じゃないからなぁ。眞魔国ならハーフでも長生きするけど、地球の魔族は平均年齢プラスアルファ、ぐらいだから…」
そう言うと村田はちょっとだけ眉を下げた気がした。おれはこういう時、戸惑ってしまう。多分村田はおれに何か言いたいけど、それが言っていけない事なんじゃないかって思ってる。
「…ま、軽く考えてるだけだから。まだ仕事も覚える事多いしさ」
それがおれには何か解らなくて、思いつく答えを適当に口に出す。
何が言いたいのかを村田に聞く勇気が無いから。
「…村田はさ、どうしたらいいと思う?」
そして決まって、おれはわざとこうやって振ってみるんだ。村田だったらどうする?って。
こうやって、こういうテンプレで流れて、そうしてコミュニケーションを取る。そういう風にしかおれは、村田に接する事が出来なくなってる。
「渋谷がどうしたらいいか?」
「うん」
でも、距離を測りかねてるとか、そういう寂しい事を言ってるんじゃなくて。
好きだから。
どうしても、100%友達としては、付き合え無くて。
「…渋谷のしたいようにしていいと思うよ、満足いくまでこっちで生活してからでも全然遅く無いと思うし」
だからいつもこういうやりとりをして。
「…サンキュー」
そしていつも通りの答えにおれは、訳も無くホッとして、寂しくなるんだ。


「はー、良く食った!」
「美味しかったねー、やっぱり肉はいいね!」
たらふく食べて酒も飲んで、上機嫌のまま駅へと向かう。地下鉄が交差する駅前は終電まで人の流れは切れなくて、それがちょっと安心する。
「そう言えばさ、焼き肉を食べてるカップルは深い仲っていうジンクスあったよね」
心なしかお互い足取りはゆっくりのまま、長い信号待ちに引っかかる。酒はお互い強い方で、二人で飲んでべろべろになったのは一度しかない。だが村田は酔うと少しおしゃべりになるので、今はほろ酔い気分なのかもしれない。
「でもさ、さっきの店で男女カップルで食べてるのちょっとしか居なかったよね。それもスーツ着たOLと上司みたいな組み合わせ。見た?」
「あぁ、トイレ行く時居たかも」
「ああいうのは、不倫関係にあるのかなー」
然程興味もなさそうに言いながら、村田は向かいの信号を見つめる。幸いこちら側にはおれ達しかいないので、思うままに口を開く。
「村田はいないの?今」
「え?」
「彼女とか、そういうの」
さっき店で話そうとした話題を無理矢理振ってみた。でももうさっきみたいな勢いも無くて、何だか尻すぼみになってしまう。
あの賑やかな店内でならもっとスムーズに聞けたのに。こんな車の音しか響かない交差点で聞くとその話題は余計に重い気がする。
すると村田はこちらに視線を向けて、にやーっと笑ってきた。
「何、渋谷は出来たの?そう聞くって事は」
「え?おれはいねーよ、寧ろ募集中!」
「なーんだ、ただの偵察かぁ」
そう言うと肘でおれの脇腹をこつん、と叩く。信号が丁度変わると、村田は歩き出す。
「僕もいないよ。居たら多分嬉しくて報告しちゃうと思う」
「嘘つけ、ポーカーフェイスのくせに」
いない、ときっぱり言われて急にニヤつく自分もどうだろう。そう思って努めて冷静に笑いかけると、村田は口元だけに笑みを浮かべて、真っ直ぐ前を向く。
「好きな人はいるんだけどね。まぁ、気長にアタックする予定」
「…そうなんだ、上手くいくと良いな」
これが二十歳の頃のおれだったら、きっと表情に全部出てしまうだろう。でも今はちゃんと、笑う事も励ます事も出来てる。
だってこういう衝撃は、これが初めてじゃないんだから。
「へへ、サンキュ」
別になんてことない、ただの名前が村田に呼ばれると少し違った響きを持つとか、そういう事で嬉しくなったりする恋を、普通の心で守るには難しい事が多過ぎて。
いつからかおれは、ポーカーフェイスを覚えた。昔の村田みたいなポーカーフェイスを。
「お、じゃあおれこっちの線で帰るから」
「うん、じゃあまたご飯行こうね」
「おう、おやすみ」
「おやすみー」
片手を上げて駅前で別れると、そのままコンビニに滑り込む。
真っ先に向かったのは酒のコーナー。
無造作に缶を一つ掴むと、清算をして店をでる。そのままプルタブを開ければ独特の匂いがして。
「…どうせ、明日になって後悔すんのになぁ」
そのままぐびぐびとビールの缶を飲み干すと、空を見上げる。今日は星がネオンに混じって光っていて。
酔いきれない体を笑うかのように、胸のモヤモヤを増加させた。