四月初日、冬にさよなら。





「それじゃあ、今までお世話になりました」
不動産屋のドアを開けると、外で待っていた空気が一斉に空に飛んで行く気がする。
待ち構えていたかのように温い風が鼻を掠めて、思わず空を見上げた。
雲一つない快晴。今日は絶好のお花見日和だ。
「すっかり春だなぁ…」
駅前の広場にある木々はどれも緑が茂っていて、それを横眼で愛でつつ、電車へと乗り込んだ。久々に切符を買って改札を抜ける。ただそれだけの事が妙にそわそわして、軽く頬に手の甲を当てた。
(そういえば、もう一年経つんだよな)
渋谷が眞魔国に戻る、と決めて家を出たあの日から一年。色々あった末に僕等はやっぱり、別々の道を歩むことになった。僕は地球に残ったし、渋谷は眞魔国へと行ってしまった。
それから僕はあの家で一人で暮らして、仕事へ行って、普通の生活を送った。勿論、あの日渋谷と離れたくないと言ったのは事実だけど、最後の最後に本当の意味で解り合えたからもう大丈夫だと思ったんだ。
お互いを繋ぐものなんて何も無いけど、信じてるって気持ちがあればどうにかなるんじゃないか、なんてそんな考え方さえ出来る様になった。
それに、渋谷が眞魔国に行ったとしても、勿論こっちに戻ってくることだって出来る。そんなの当たり前なんだけど、それすらも怖かった去年の今頃を思い出すと、今の自分の心の余裕さに苦笑してしまうくらいだ。
(あ、着いた)
電車が駅に着くと、見慣れた改札を抜けていく。勝手知ったる地元の駅は、何年経っても昔と殆ど変わらない。でも実際は、コンビニが出来たり店が潰れていたりと、本当に少しずつ変化はしているのだけれど。
階段を降りるとそこも目一杯の春の匂いが溢れていて、口元を緩ませると前を見た。
駅前の看板の前でいつも待ち合わせしていたのが今でも、昨日の事みたいで。
「あ」
そしてその場所に立つ人影を見つけて、胸がざわめく。 緩む頬が可笑しいくらいに抑えられなくて。

「渋谷」

本当に久しぶりに、その名前を呼んだ。
人影がゆっくりこっちを向いて、今度は体ごと向いて。
愛しい。
素直にそう思った。
「…よ、久しぶりだな」
「うん」
渋谷の顔を改めて見直すと、一年前と殆ど変って無くて。髪はちょっと伸びたみたいだけど、服も以前のまま。よく着ていたパーカーが懐かしい。
「へへ」
「何だよ、渋谷」
「いや、変わってないなって」
「君もね。ていうか、ちゃんと覚えてたんだ」
「当たり前だろ?」
去年の今日、本音をぶつけ合った後短いセックスをした。その後にこれからの事を話して、僕等は今日ここで落ち合うことを決めたんだ。
それまで一年、会えないかもしれない。そう渋谷が言った事は強ち冗談でも無いと思っていた。そして本当に、本当に一度も会わないまま今日が来た。
そう思うと、渋谷のいない一年は長かった気がする。でもいつだって、側にいる気もしていた。
「僕がいなくて寂しかった?」
聞いてみると、意外にも渋谷は面喰った顔をして、でも直ぐに頬を緩ませた。
「それは、まぁ」
「あれ、今日は正直だね」
「たまにはな」
僕の目を見て、そんな風に笑うから抱きしめたくなる。渋谷、僕もずっと寂しかったよ。
でも、今こうして会えて顔を見れて、それだけで全部飛んで行ってしまった。
「渋谷」
「ん?」
だからもう、恥ずかしいとか、そういう言葉を使うのは辞めようかなって思う。
「っ、わ」
腕をのばしてぎゅっと抱きつくと、渋谷が驚いたように目を瞬かせる。
「何だよ…いきなり抱きつくなっ」
「…会いたかった」
「う…」
「あー…本物の渋谷だ」
あったかくて大好きな、僕の恋人。どんな時間を過ごしても渋谷以上になる人なんていないって思う。
おずおずと手が背に回されて、ぽんぽんと叩かれる感覚さえ、胸を鳴らす。
「…村田ってば、相変わらずだな」
「何が?」
「…変わってなくて安心した」
「さっきも聞いたよ」
ゆっくり体を離すと、渋谷の瞳がこっちを見つめていて。
まぁ、昼間の駅前なんて殆ど人がいないんだけど、一応周りを見てからそっと手に触れた。
「何だよ」
「手を繋げたらいいのにな、と思って」
「…ここじゃダメだろ」
「うん」
そういうところも、一年前と全然変わってなくて。でもやっぱり一年は長くて。
だから安心した。本当に。
「…な、村田」
「ん?」
「ちょっと散歩しようぜ」
はにかんだ笑顔が、僕との再会を喜んでくれている事を示していて何だか嬉しい。強く頷くとそのまま並んで歩きだす。行先は勿論、渋谷の通っていた高校。
「まだ桜は咲いて無いかな」
「ん、どうだろ」
本当はもっと話したい事がたくさんある筈なのに、胸が詰まって仕方無い。どうしようかとあぐねいてる間にどんどん足は進んでいく。
会えなかった日々にあった事。決めた事。日常の事。どれも話すには長いことばかりでどれから伝えようか迷う。
「やっぱ咲いてないかー」
考えている間に目的地に着いてしまった。案の定、高校の前の桜は咲いて無くて、でも少し蕾が膨らみかけている。
去年はまだ少し寒くて、蕾も付けていなかったのに。
「でも、去年より暖かいからもうすぐ咲きそうだね」
二人で見上げてから視線を戻すと、渋谷がこっちを見ていた。
目が合うと微笑まれて、同じ事を考えているんだって思った。
「…長かったね」
「うん」
それを言葉にすれば、応える様に頷かれる。当たり前のように何年も一緒に生活していた僕等は、こんなに長く離れていた事も初めてで。
それは思ったより、自分を弱くして、強くしてくれた。
「なぁ、村田」
渋谷も出会った頃からしてみると随分大人になって、しっかりとしていて、もう僕の助けなんて無くても立派にやっていける。
実際、出会った頃から僕は渋谷の為になんかなれてなくて、本当はただ側にいたかっただけなんだ。
長い長い初恋を、大事に守ってきただけ。
「何?」
「お前、今、幸せ?」
渋谷がいなくても、電車は動いて日は沈んで、また昇っていく。僕の心臓も勝手に動いて、お腹が空く。それは当たり前なんだよ。
僕達はひとつじゃない、それはずっと、解ってた。
「…渋谷と同じだよ」
立ち止まって、別れを惜しむカップルみたいに指を絡ませる。ゆっくりと解けば、確かに渋谷はそこにいる。
「…渋谷は今、幸せ?」
はにかんだ笑顔は曇る事は無くて。そっと目を細めて渋谷は頷いた。
「うん、幸せだよ」
「うん」
「でも村田がいれば、もっと幸せだと思う」
「…うん」
「…おれと一緒に来い」
「……仰せのままに、魔王陛下」
「…ばか、そうじゃねーだろ」
「………うん、ごめ、ん」
目頭が熱くなるのも、涙が零れるのも、胸が痛いのも、それは全部、渋谷がくれたもの。
僕の毎日はそれなりに幸せだけど、渋谷のいる世界の方がきっと、もっと幸せ。
それが同じ気持ちで本当に良かった。
「村田の事、考えない日なんて無かったよ」
「……僕もだよ」
「それなら良かった」
あからさまにホッとする渋谷が愛しくて、そっと手を取って指先に口付けた。
ありがとうと、愛してるを込めて。
「…ありがとう、有利」
「何だよ」
「僕の事、ちゃんと待っててくれて」
「…当たり前だろ?」
見れば少しだけ頬を染めた顔。それはまるで、桜みたいな薄紅色で。
「…ほら、村田」
「え?」
差し出された右手に驚くと、一瞬置いて左手が掴まれる。
「しぶや」
「何だよ」
だって、手。
そう言いかけて、見上げた先の瞳が凄く、凄く恥ずかしそうだったから。
「…何でも無い」
どんなに年が経っても、どんなに離れても、きっと僕は渋谷以上の人には出会えない。
この桜の下でもう会えなくても、この手を離すなんてもう、考えられない。
渋谷に出会えてよかった。
渋谷を好きになってよかった。
渋谷が僕を好きでいてくれてよかった。
温かいその手を握り返すと、僕の好きな笑顔が幸せそうにはにかむ。
「よし、じゃあ行くか!」
「うん!」
歩き出す頬を風が掠めて、背中を押すそれは春の匂いに溢れる。




これから沢山の季節を共に過ごす事になるけれど、どうか。
二人で刻む足跡がこれからもずっと、傍にありますように。











end



4か月以上かかりましたがようやく終わりました…待っててくださった方、ありがとうございました!