三月中旬、手を繋ぐ白昼夢。
木蓮がちらほらと木に白を結ぶ、晴れた午後。
おれは駅前で買ったたこ焼きを持って、久々に実家へと帰ろうと地元の道を歩いていた。
グレーのパーカー一枚で出られるのは日が昇っている内だから、夜が来る前には帰りたい。村田も早く帰ってくるだろうし。
「…そういや、この道通るのももうあんまり無いのか」
いや、下手をすると最後になるのかもしれない。そんな事を思うと急に不思議な気持ちになって、少しだけ歩くペースを落とした。
引っ越しすればいつだってこんな気持ちになった。でも今回はそれがもっと、何て言うか…切ない気がして。
「…少し遠回りするかな」
学校帰りに練習したグラウンド、初めて眞魔国に行った公園。通っていた高校への道は桜並木があって、それを自転車で駆け抜けた春。
まだ裸の桜の木々は寒そうにそこに立っていて、暫くぼおっと見上げてしまう。
…もう、それを見る事は無いんだ。
「あれ、渋谷?」
「え?」
呼ばれた気がして振り向くと、丁度そこには見知った顔があった。
「何だよ渋谷じゃん!久しぶりだなー!」
「おー!何、お前何でここにいるんだよ!」
「それはこっちのセリフだよ!」
意味も無く大笑いして肩を叩き合った。
おれの目の前にいたのは、高校、大学時代に草野球でチームを組んでいた時のチームメイト。社会に出てからすっかりご無沙汰だったけど、相変わらず変わっていない。
「俺はたまたま今日非番でさ、用事済ませて家帰ろうとしてたんだけど…渋谷は何してたんだ?」
「えーっと…おれこないだ会社辞めてさ、今有給消化中なんだ。で、ちょっと実家に行こうかと思って」
「え、そーなの?会社辞めたんだ…でも、どうして?」
「んー…ちょっとな、色々あってさ」
「そっか…まぁ、色々あるもんな」
「まぁ、な」
色々。最近は言いにくいことも全部、こんな言葉で片付いてしまう。相手の心情を敏感に察知するようになったのは社会に出たから。言いにくい事は上手く隠して、上辺の付き合いだって覚えた。昔はもっと剥き出しの心で傷つけ合う事も多かったのに。
「…ははっ」
「?何だよ」
「いや、何か俺達も年取ったよなーって」
相手も同じ事を思ったらしい。頷いて笑うと、昔よくやったみたいに拳をコツン、と突き合わせる。
「なぁ、渋谷。今夜久々に飲みに行かないか?俺今でもたまにあのチームのメンバー数人で飲んでるんだよ」
「え、マジ?そっか、皆実家だもんなー」
「な、だから声かけとくから飲もうぜ。お前は村田と仲良かったよな。今も連絡取ってるのか?」
「あ、うん、まぁ」
「じゃあ今日の7時に駅前の居酒屋でいいか?まあ集まらなくても最悪、二人で飲もうぜ」
「ん、わかった」
「それじゃまた後でな」
軽く手を振ってその場で別れる。久しぶりの再会は今夜の予定を埋めてくれる事となった。
「しかし…連絡取ってるの?かぁ」
まさか、一緒に住んでるなんて知ったらどんな顔をされるだろう。ついつい一人で苦笑してしまう。
携帯を取り出して村田にメールを打つと、ポケットに入れてまた歩き出した。
だが、数歩歩いたところでポケットに入れたままの携帯が鳴りだす。村田に設定された専用の着信音に少しだけ心臓がざわつくのを感じて、おれは足を止める。
『もしもしー』
「ああ、何?今大丈夫なの?」
『うん、丁度会議が終わったとこ。渋谷こそ、地元帰ってたの?』
「ちょっと実家に帰ろうと思ったらさ、偶然アイツに会って。今おれの高校の前にいるんだ」
『へぇ、懐かしいなぁ。桜が綺麗だよね、あの道』
「うん」
村田と一緒にここを歩いた事はないけど、お互いが知っている風景だから共感し合える。そういえば、そんな事ばっかりだ。
『あ、今さ』
「ん?」
『渋谷と見た事無いのに、一緒に桜を見てる気分になった。変なの』
電話越しに笑っている顔が浮かんで、思わずはにかんでしまう。村田も同じ事を考えていたなんて凄い偶然で。
隣に村田がいるような気がして、ゆっくり歩き出す。
「まだ桜、咲いてねぇよ」
『だよね。あ、今日だけど定時に上がれそうだから行くね。久々に僕も皆に会いたいし』
「おう…な、村田」
『何?』
「帰りに、ちょっと散歩でもして帰れたらいいな」
声だけじゃなくて、存在を横に並べて歩きたい。そんな風に思ってしまう。
すると村田が嬉しそうに声を緩ませる。
『いいね。じゃあそんなに飲んじゃ駄目だよ。…まぁ、そしたら渋谷ん家に行けばいいんだけど』
「ばーか、そんなに酔わねぇよ」
『へへ、じゃあ僕が酔っ払ったら手を引いて連れてってね』
「お前全然酔わないくせに?」
『渋谷と手を繋ぐ為なら酔えるよ』
おれは村田のこういう所に弱い。
さらっと、そういう事を言うから。
まぁどっかの名付け親も言うけど、それよりもっと、ドキドキする。
「…あほ」
『アホじゃないよ…ってそろそろ戻らないと』
「あ、ああ」
『じゃあまた後でね』
「うん」
慌ただしく返す声に現実に戻った気がして、電話を切った。通話時間の5分ちょっとがディスプレイに表示されて、またおれは一人になる。
携帯を握る右手と、たこ焼きの袋を持つ左手。何の変哲もない両手が、村田のと重なるとじんわり暖かい気持ちを産むなんて、学生服で駆け抜けていた頃は知らなかった。
あんなに沢山、同じ時間を過ごしていたのに。
もっともっと、早く気付ければよかった。
「…なんて、何考えちゃってるんだおれ」
実家への道を歩きながら、家に上着があったかと考える。まぁ、無ければ村田に持ってきてもらえば…と思って、また苦笑した。
だめだな、おれ。
さよならを告げたのに、まだこんなに好きで、大切で、頼ってるなんて。