二月末日、送別会後。





土曜になったばかりの、深夜二時。
玄関のドアの開く音がして、時計を見た。
パソコンの保存ボタンを押して伸びをすると、丁度リビングのドアが開く。
「お帰り」
「…ただいま。まだ起きてたの」
「来週頭に出す書類なんだ。早めにやっておきたくて…それよりお疲れ様、何か飲む?」
「あー、水くれる?それと」
ばさ、とテーブルでは無くて僕の腕に渡された花束。立派な大きさで随分重い。
「凄いの貰ったね」
「な。こんなん入る花瓶ねーよ」
「取りあえず洗面器に入れておこっか」
「ん」
笑いながらコートを脱いで椅子にかけると、スーツはそのままにソファに座る。
僕は冷蔵庫からミネラルウォーターを出すと、グラスに注いで差し出した。
「はい」
「サンキュ」
喉が飲む速度に合わせて上下する。僕も飲みかけのコーヒーを持って隣に座った。
深みが丁度良く腰に馴染んで、ふいに渋谷と目が合う。
「…お疲れ様、渋谷」
「うん」
「どうだった?送別会」
「んー、ぼちぼち。…なんちゃって、良かったよ」
「仕事、ギリギリで片付いて良かったね」
「あ、メール見たんだ。返さなかった割には」
「あれ、ちゃんとテレパシーで返したんだけどな、気付かなかった?」
出かける時にセットした髪も、何時間も外にいたらしおれてしまう。髪を上げない渋谷は今も幼くて、無意識に前髪に手をかけた。
「戻ってる」
「しょーがねえだろ、ワックスあんま効かないんだから」
「明日からする必要ないけどね、もう受付のカトーさんに『渋谷クンかわいーわねぇ』って言われないんだから」
「…お前まーだその事根に持ってたの?」
「それは自意識過剰だぜ、渋谷」
「はは、そーかも」
お酒が入ってるからか、機嫌が良いみたいで。
ここ数日引き継ぎで毎日仕事に追われていたから、こんな表情も久しぶりだ。
「さみしくは無い?」
だから、思い切って聞いてみる。すると渋谷はちょっとだけ面喰った顔を見せた。
「…それって、仕事の事?」
「うん」
それ以外の理由でなんて、聞けるわけないの知ってるだろ?
「…ん、まぁ、それは仕方無いよ。寂しいって言うか、もうちょいやってみたかったって気はあるけどさ、後悔はしてない」
「うん、だろうね」
そういう所は、変わってないね。
そんな簡単に変われるものでもないけどさ。
「…村田、おれ結構疲れてるので寝るけど、お前は?」
「ん、じゃあ僕も寝る」
「風呂は明日入るから、パスな」
「はいはい」
パソコンの電源を消して、花束を洗面所に運ぼうとリビングを出る。
廊下の空気は冷たくて思わず身震いする。
「寒っ」
もう三月になるのに、まだ気温は上がらなくて、雪が降りそうに寒い夜もあって。
でも今は、春が来なければいいなって思う。


渋谷が眞魔国で暮らして行くと決めた事。
それを打ち明けられた事。
去年のクリスマスは、こんな寒さには遠い暖かい夜で、渋谷の言葉に僕は泣いた。


「うー、エアコン無いとやっぱ寒いな」
「ね、早く寝よう、ゆたんぽ入れなきゃ」
「この歯ブラシもそろそろ変えないとなー」
あれから二か月。
未だ歯ブラシは並んだままだけど。
「有利」
「え?……っ」
「…お酒臭い」
「…飲んできたからしょうがないだろ」




もうすぐこの街にも、春がくる。
その時きみは、もういない。