ONE DAY
空には雲が点在し、その背景は澄んだ青色をしている。陽射しはたっぷりと余裕を持ち庭に降り注ぐ。それはのどかで暖かい日。
久々にヴォルテール城に足を踏み入れたヨザックは、回廊に見慣れた人影を見つけた。
「…アニシナちゃんだ」
赤々としたポニーテールをなびかせ颯爽と歩くその小さな背格好を無意識に目で追う。このまま角を曲がってしまうのかと思いきや、くるりと向きを変え、元来た道を歩いて行く。
「?」
今日の空と同じ色をした瞳が爛々と輝いているように見えた。それはまるで…
「うわぁぁぁぁっ!!」
「見つけましたよグウェンダル!さぁ私と来なさいッ!」
まるで…、獲物を見つけた獅子の様に。
「やれやれ…閣下に報告が出来るのはいつになる事やら」
ヨザックは笑みと共にため息を吐くと、今の時間を太陽の位置で推測する。多分あと2時間はかかるだろう。
どこかで時間を潰そうか、と考えながら周囲を見渡すと、馬小屋の側の井戸付近に小さな影が見えた。
「あ」
子猫だ。ふわふわと柔らかそうな体をぎゅっと縮こまらせ、井戸の縁を睨みつけている。
あれはマズいんじゃないか?
ヨザックは慌てて井戸に向かい駆けだした。このままだと縁の向こう側が見えてない子猫はジャンプしたついでに落っこちる事になるだろう。縁は思うよりも狭いのだから。
「待て待て」
口の中で呟きながらヨザックは全速力で駆ける。しかし子猫はそんなヨザックに気づかぬまま、ためた力を発して地を蹴った。
そしてそのまま、縁に足を着地したと思えば案の定、前につんのめる形になった。
言わんこっちゃない!
「ちょ、待てーっ!」
子猫の足が縁から滑り、小さなその身が暗い井戸の中に向かって投げ出された瞬間、ヨザックの両手がその下に滑り込んだ。
「ぐはっ!」
と同時にヨザックの腹に衝撃が走る。勢い余って井戸の縁に突っ込んだのだ。軽く腹をえぐられる様な痛みが流れる。
「っつー…!」
一瞬意識が飛んだが、直ぐに手のひらの中の感触に頭を上げる。どうやら子猫は無事だったみたいだ。状況が理解できないようで固まってはいるが。
「…よかった」
井戸から離れ、手の上で震えている子猫を胸に寄せ、そっと指で頭を撫でてやる。するとメェ、と小さく喉を震わせた。
その姿にヨザックは笑みを漏らす。
「ま、可愛いから許してやるよ」
呟くと、子猫はダークブルーの瞳を丸くしてヨザックを見つめる。
応えるように微笑みかけ子猫を地面に降ろせば、ありがとうとでも言うように足に頭をすり寄せてきた。
「人懐っこいな」
ふと、懐かしい笑顔を思い出す。元気だろうか…。今はどうしているやら。
ゴロゴロと喉を鳴らしてヨザックの足に絡みついていた子猫は、突然耳をピンと立てて馬小屋の方を向いた。そしてその方向にサッと駆けていく。
「あり?」
子猫の行動に疑問を感じたヨザックは、そっと馬小屋の戸を開けてみる。中には変わった様子は無かったが、耳をそばだててみると、小さい鳴き声が聞こえた。馬の動く音に混じって、メェメェと幾つかの猫の声がする。
「お?」
ヨザックが馬小屋の端、干し草が積んである場所まで足を進めてみると、小さな子猫が数匹、親猫と思われる猫と共に暮らして居た。子猫は必死に母猫の母乳を飲み、それ以外は寝ていたりしている。
成る程、ここから抜け出してきたのか。
「それにしても」
気持ちよさそうな干し草ベッド。そういや昔はよく馬小屋で寝たっけ。
ヨザックは猫達に注意しながら干し草の上に寝ころぶ。警戒心が無いのか、それとも先程助けた事を覚えているのか猫達はヨザックの訪問にも動じない。
「うひゃー、なっつかしーぃ」
昔寝た時のよりずっと上等な干し草に身を沈めながら、ここで暫く仮眠するのも悪くないかと思いつく。誰も来ないだろうし、閣下がアニシナちゃんから解放されるにはまだまだかかりそうだし。
「暫くお邪魔するわよん」
猫達に声をかけると、ヨザックは一時の眠りについた。
キィ……
数時間後。誰かが馬小屋の戸を開ける気配がして、ヨザックは意識を取り戻した。まだ掃除の時間には早いはず。
だがそろそろ起きなくては。もう実験も終わった頃だろうし、早く報告して兵舎に帰りたい。ひとっ風呂浴びてさっぱりして…。
と、また夢の中に引き込まれそうになった瞬間、聞きなれた声が聞こえた。
「ッ!」
バタン、と大きな音がする。どうやら壁にぶつかったらしい。
そんなに驚かなくてもいいじゃなーい。
「どーも、閣下」
目を開けるとヨザックは体を起こして壁に張り付いているグウェンダルに一礼した。少し髪型が乱れてはいるが、そこはご愛嬌。
「な、何故お前が此処にいるんだ」
いつもの渋く落ち着いた表情とは異なり少し慌てているのが伺える。ヨザックはその様子に心の中だけで苦笑した。
「そりゃこっちの台詞ですよ。閣下こそ、どうしてこんな場所に?」
訝しげに見れば、その表情は更に慌てる。
「わ、私はこのこねこちゃん達の様子を…」
「解ってますよ」
グウェンダルの足には既に2匹の猫が歓迎するようにすりついている。
こりゃ相当通ってるな。
「解ってるだと?」
「ええ、その猫達を見れば」
酒場で常連客を出迎える女の子達の様な猫達に、魔族も猫も大した違いは無いんだと実感する。
グウェンダルは長い脚を折り、子猫を抱き上げるとその小さな額を撫でた。薄く目を瞑る子猫の様子にうっとりと魅入っている様だ。
酒場に行くより安上がり。
ヨザックは今度は表情に出して苦笑する。
「ところで」
「はい?」
「お前は何故女装しているんだ?」
猫を手に抱いたまま眉を潜める。
干し草の上のヨザックは白いフレアのワンピースに華奢な白のリボン付きベルトといった、避暑地にでもいそうな清楚なお嬢様スタイルだ。暖かな陽気を先取りするかの如く袖は無い。
その格好で干し草の上にオネエ座りしているのだから、牧場の娘にも見えてくる。
「これ似合うと思いません?今回の任務で着てたんだけど、あんまり可愛いからグリ江、つい着て来ちゃったんです」
閣下にお見せしたくて、と付け加えればグウェンダルの眉間に皺が寄る。
至極当然の反応にヨザックは思わず口角を上げた。やはりこのお方は可愛らしい。
そして、正直だ。
「…その姿でよく兵に止められなかったな」
「皆グリ江の美しさに酔いしれて止める気力も失せちゃったみたいなんですぅ」
実際、怪しまれはしたが通行書があるから容易に通れたが。それに女装が怪しまれたのではなく、場違いな服の可愛らしさを咎められたのであり。
要は誰も女装してるとは思わなかったわけだ。
「今度から女装をして報告には来るな」
「はぁい」
声のトーンに濁りが無いのに気づき、ヨザックは素直に従う事にした。今回は着替えるのが面倒だったのと最近女装していなかったせいもあったので、満足した今は特に不満を述べる理由も無い。
「閣下、報告に伺っても宜しいですか?」
ヨザックは干し草から降りると報告書を片手にちらつかせた。グウェンダルは懐から餌を出して猫達に与えている。
ヨザックの言葉にちら、と頭を上げ「ああ」と答えた。
「閣下のお気に入りの子はどれです?」
ヨザックが尋ねるとグウェンダルは1匹の子猫を指さした。ダークブルーの、先程ヨザックが助けた子猫だ。
こりゃ助けてよかった。
「人懐っこいですよね、コイツ」
屈んで顎の下を撫でてやれば気持ちよさそうな表情を浮かべる。その姿は無防備で、素直で。
こんなに素直に喜んで下さると助かるのに。
子猫を見てそんな事を考えてしまう自分に腹の中で笑う。
「相当だな」
「ん?何か言ったか」
「いいえー」
お愛想笑いで誤魔化すと、グウェンダルの眉が寄ったが気にしない。
一通り戯れも済んだのか、グウェンダルは腰を上げた。
「腹の部分が汚れてるぞ」
「あら」
指摘されて見てみると、黒い汚れがヨザックの腹部についていた。どうやら井戸に突っ込んだ時の物らしい。
「いやん、落ちるといいんだけど」
「…何の跡だ?」
グウェンダルが馬小屋の扉を開ける。続くように外に出ると城内はまだ穏やかな日差しに溢れていた。
「ちょっと子猫を助けたら井戸に突っ込んじゃいましてぇ」
「子猫を?」
「ええ」
グウェンダルの声が少し暖かみを帯びた。
「そうか、礼を言うぞ」
「……」
礼、ですか!?
ヨザックは己の耳を疑い、あんぐりと口を開けた。どうやらこの人の小さくて可愛い物好きは相当らしい。
「どうかしたか?」
グウェンダルが振り返る。ヨザックは慌てて開いた口を閉じた。
全く、人ってモンはわからない。
「いいえー」
小首を傾げて返事をすると、グウェンダルは眉を少し上げ、また前を向く。
あ、その瞳。
「閣下、さっきの猫に似てますね」
口をついて出た言葉に、グウェンダルはぴくりと反応する。
「私が人懐っこいとでも?」
振り返ったグウェンダルは有り得ない、という表情でヨザックを見る。
あぁ、言葉が足りなかったか。
「いえ、その瞳の色が」
そう答えると口元に笑みを浮かべ、挑発的かつ畏敬を込めてダークブルーの瞳を見つめた。なびく風が心地よい。
「そうか」
「ええ」
笑いも怒りもせず、グウェンダルはまた歩きだした。ヨザックも一歩後ろをゆっくりとついて行く。ワンピースを着ている事を忘れないよう、優雅に、軽やかに。
それはまるで恋人同士。
しかし本当は上官と兵士。
詳しく言えば小さくて可愛い物好きの仏頂面と女装趣味のある筋肉野郎。
あぁ、人ってモンはわからない。
それでも、グウェンダル閣下に恋のお相手が出来たと、城内では暫くその噂が絶えなかったとか。
end.
おまけ。
「グウェンダル!聞きましたよ!」
「なっなんだアニシナ、私は今忙しい…」
「あなたの予定など聞いておりません!それより、恋人が出来たというのは本当ですか?」
「ぶっ、こここ恋人?」
「城内中で噂になってます。あなたが長身で大柄な女性を引き連れて執務室に入っていったと」
「そんなバカな…っ、まさか」
「その慌てようは本当らしいですね。ちょーど良かったです!」
「な、まて誤解だ」
「出来立てホヤホヤカップルの熱々度はどれだけ魔力を上げるかを調査したいと思っていたんです!」
「おい!人の話を聞け!?」
「そうと決まればグウェンダル!早速実験室に移動ですよ!」
「やめろ!私はそんな熱々もラブラブもドキドキもしてないッッ!」
「何です、執務室に連れ込みあんなコトやこんなコトをしていたんでしょう?皆噂していますよ?」
「そ、そんなわけあるかっ!!」
彼の苦悩はまだまだ続く。