LIP GAME





いってきまーす。

あ、ちょっと待って!……ハイ、これ。

何?

何ってリップよぉー。ゆーちゃん唇少しかさついてるみたいだからそれつけなさいね?

え?そうかなー、かさついてる?

かさついてるわよー!折角買ってきたんだから無くさないでよぉ?

はいはい…って、凄い香りだな。

何言ってんの!フローラルピーチの香りよっ!ママとお揃いなのよ?ほら、ママの唇もいい匂いでしょ?

うわ!びっくりするから止めろよっ、ってもうこんな時間!じゃあいってくるから!

はーい、いってらっしゃーい。









「あ」

「どうかしましたか陛下?」

今日も平和な眞魔国の第27代魔王は教育係とのお勉強の時間、唐突に声を上げる。服のポケットに手を突っ込んで探してみるが何も手には当たらず。

「…やっぱりない」

「何が無いのですか?陛下の大切なものですか?愛ですか勇気ですか友達ですか?愛ならこのギュンターの心の中に溢れるほどございますがっ!」

「…いや、愛でも勇気でも友達でもないから」

本日はいつにも増して吹っ飛んでる教育係。呆れ顔のユーリは持っていたペンを机に置いた。

「これくらいの大きさの…口紅くらいかな?の大きさの…んー…とにかく口紅みたいなの見なかった?」

形容しにくいのでまぁ口紅でいっとけいっとけ。

「口紅ですか?…いえ、そのようなものは。しかし何故陛下がそのような物をっ?はっ、まさか陛下に化粧の趣味でもっ??」

Mr.勘違いは思い込みも激しく1人アワアワしている。

「飛躍しすぎだっ!口紅じゃなくてリップってゆーの!……だよな、ないよなー。昨日まではポケットに入れて置いたのになー」

どこで落としたんだろ。昨日は幾度かヴォルフの相手を振り切って走り回っていたから…その時か?

「その『りっぷ』というものはどんなものなんですか?」

「口紅もリップも同じようなものなんだけどリップは色がつかなくてー、化粧の為じゃなくて唇が荒れないようにぬるんだよ」

言いながらペンをふらふらさせてリップの落とし場所を考える。

「…では、陛下はそれをお使いになって…」

「ああ、そうだけ……ど!!!な、何っ!?」

ボタッ。

ギュン汁が床に垂れる。鼻を覆った指の隙間から汁が滲みそうだ。

「ぎゃ!ギュンター何してんの!」

「っすいません、陛下の『りっぷ』をぬるお姿を想像しただけで鼻から愛が…!」

「やめろそんな想像はっ!!しかも鼻から愛って何だよ!」

ユーリ必死のツッコミ。ギュンターは綿を鼻に詰めて愛を止めようとしている。

「ったく…びっくりした…。でも弱ったなー、ドコいったんだろ」

瞬間、ギュンターの瞳が赤く光った。
…もしやこれは、陛下のご寵愛度UPのチャンス?というか、陛下の使用済みの『りっぷ』…!こっそりかかか間接キッスも可能!?!?これはもう…っ!

「陛下、私が探して参ります!絶対にこの私が見つけてご覧にいれましょう!」

私がゲットする他ないでしょう!

「へ?ギュンターが?」

教育係は鼻息も荒く今にも走り出しそうだ。らんらんと輝く瞳からは光線でも出てきそうな勢い。

「はいっ!陛下は安心してお勉強を続けて下さいませっ!!」

妖しく目を光らせつつギュンターは凄い速さで部屋を後にした。
後に残されたユーリはぽかーんと超暴走特急号を見送っていた。

「…はぁ」

ため息を吐くとふっと立ち上がり。

「何か悪寒がする…」

ぶるっと身を震わせると部屋を後にした。

血盟城、廊下にて。

「ん?」

廊下の隅に転がっている何かを見つけ、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは腰を屈めた。

「何だこりゃ」

母上の口紅にしてはやけに子供っぽいデザイン。透かした桃色のボディに星模様が散りばめられている。

「新種の口紅か…?」

まじまじとその作りを見ていると前から声をかけられる。

「何してるんだ?」

コンラッドは廊下で立ち止まっている弟の元へ近づく。

「ああ、お前か」

一瞥すると今まで見ていたものを差し出す。

「えらくファンシーな口紅だな」

「ふぁんしー?」

「意匠をこらした、って事さ。ヴォルフのか?」

「いや、廊下に落ちていた」

蓋を開けてみるかな、とヴォルフが蓋を持った瞬間

「ちょっと待ったああああトサッ」

バタバタと背後から音がする。ギョッとして振り返ると超絶美形ギュンターが目の色を変えて突進してきた。

「うわっ!?」

「ギュンター!?」

ギュンターは驚く2人に目もくれずに、ヴォルフの手に握られているものを凝視する。

「それは何ですっ?ヴォルフラム」

「へ?あぁ、廊下に落ちてたんだ。ギュンターのか?」

ヴォルフが筒を差し出す。それは先程ユーリが言っていた『りっぷ』の特徴にとても当てはまっていて。
ターゲットロックオン。ギュンターの脳内では早くもユーリの使ったリップとの間接キッスな想像が始まっていた。

「うふふふ」

「ギ、ギュンター?」

ついに壊れたか。
ヴォルフは怪しげな笑みを浮かべ手のひらの筒を見つめている教育係の様子に身震いする。

「…あ」

ひょい。

「ちょっと失礼」

ギュンターが妄想に足止めをくらっていた隙にコンラッドがヴォルフの手から筒を取り、蓋を開ける。
そこからはふんわりと爽やかなピーチの香りがして、3人の辺りに漂う。

「はっ!何だか私胸がきゅるるんとしてきましたっ!何でしょう、この伝えたくても恥ずかしくて伝えられない、夢にまで出てきてしまって次の日の朝に陛下のお顔を拝見するとより一層気になってしまうような…そう、まるで陛下と私の歯がゆい関係にも似た気持ちは…!」

「何だ?この口紅変な形だな」

桃色ファンタジーにかかったギュンターを後目に、ヴォルフは訝しげに筒を見つめる。

「この香り…ユーリのだ」

コンラッドが目を細めて呟く。

「これはユーリの口紅なのか?」

「いや、多分リップクリームじゃないかな。男女問わず持てる口紅みたいなもんさ」

何故こんな甘い香りがするのかはわからないけれど。

「ふーん…。というか何故お前がユーリの香りだってわかったんだ?」

よく考えてみたら口紅と使用方法は一緒なわけで。という事は唇に塗るのであって。つまりその唇の近くに顔を近づけたという事であって…。

「そぉーですよコンラート!何故にあなたが陛下の唇の香りを知っているんですかっ!?」

いきなり復活したギュンターが半狂乱になって叫ぶ。しかしその鼻からはだらしなくギュン汁が。

「ギュンター、何を想像してるんだ」

すっと後ずさってコンラッドは両手を肩まで上げてみせる。
大方、変な想像であるのは予想がつくけれど。

「ええいっ!ぼくにも聞かせろっ!コンラート、貴様ぼくのユーリに何かしたのかっ!?」

ぼくの、って。ユーリが聞いたらため息でも吐きそうだ。
コンラッドはやれやれといった顔で口を開こうとするが。

「お前等、うるさいぞ!」

怒鳴り声が廊下に響く。声の主を見ると、眉間にいつもより深くしわを刻んだグウェンダルが頬をヒクヒクさせていた。どうやら大分前から怒りを堪えていたらしい。

「廊下で騒ぐなっ!執務の邪魔だ!!」

指先が小さく動いている。イライラ度高し。

「それどころではないのです!愛する陛下の一大事なのですっ!ああまさかコンラート、陛下のててててて貞操まで奪ってしまったのではっ…ごふっ」

ギュン汁大発生。誰か綿と鉄分を。

「何だとー!?貴様っ!どういう事かわかっているのかっ!?」

行きすぎた解釈を疑いもせずに信じるわがままプー。ユーリの事となると冷静な判断も下せないらしい。

「う る さ い っ!」

怒鳴り声の三重奏にコンラッドは思わず耳を塞ぐ。と、同時にリップがコロコロと転がった。

「あっ!」

2人の目がリップに気を取られた隙にコンラッドはスッと囲まれていた位置から抜け出す。
リップはグウェンダルの足下で止まり、怪訝そうな顔の美丈夫に拾われた。

「なんだコレは…」

グウェンは薄桃色のリップを手に取ると眉を潜める。

「それは陛下の大事な落とし物なんですっ!!返してくださいっ!」

ギュンターがスタートダッシュでグウェンダルに迫る。その迫力に流石のグウェンも三歩程引いた。

「あ、ああ……ん!?」

返そうとしながら何気なくリップの模様を見たグウェンの目が止まった。薄桃色のボディに星模様が散りばめられている。なんとその中に、可愛い可愛いミニウサギさんの絵が書いてあるではないか。どうやらこれも母の趣味らしい。

「……可愛い」

「はい?」

途端に、グウェンはリップを返そうとした手を引っ込める。

「グウェンダル!返してください!」

怒り口調でギュンターが詰め寄るが、グウェンは無表情でそのリップを眺めながら呟いた。

「このうさちゃんは私のものだ!」

うさちゃん誘拐宣言。ギュンターの瞳に炎が宿る。

「な、なんですとーっ!?グウェンダル!それは陛下の物ですよっ!まさかあなたまで陛下を狙っていたのですか!?」

「そうです兄上っ!いくらユーリが可愛いけど手を出せないからって私物をがめる事はないでしょうっ!」

正直冷静になれよいい加減、な2人に詰め寄られグウェンダルはたじろぐ。

「ちっ違う!私はこのうさちゃんを…」

必死で言うが熱くなった2人の耳には入らず。

「きいーっ!私がこの『りっぷ』を陛下に届けられれば更なるご寵愛へ一歩近づけたのにぃぃ!それにこっそり間接キッスも出来たはず…はっ」

「なーにぃっ!?ギュンター!お前この『りっぷ』でユーリと間接キスするつもりだったのかあっ!?」

思わず本音ポロリしちゃった教育係にヴォルフはヒステリックな叫び声をあげてキレた。

「ぼくだってした事ないのにお前なんかにさせるものかっ!!その『りっぷ』を寄越せっ!」

2人の手がグウェンダルにのびる。3人の熾烈な争いにコンラッドは既にギャラリーと化していた。

「これは私のだっ!」

「私のですっ!」

「ぼくのだっ!!」

三者三様な戦いが拡大して全面戦争になるかどうかの瞬間−


「あ、おれのリップじゃん」


3人が振り向くとそこには

「陛下…!」


「…何してんの?」

呆れ顔で騒がしい3人を見ている魔王陛下。なんでおれのリップが3人に奪いあわれているんだろう。
コンラッドは予期せぬ展開に戦闘停止状態な輪の中に入り、リップをスッと取った。

「あっ!」

そしてそれをユーリに渡す。

「はい、ユーリ」

「あ、ありがとうコンラッド」

ホッとしたようにリップを受け取るユーリの姿に、3人はがくっと肩を落とす。

−というかコンラートの奴ッッ…!!

理由は様々だが3人の心中はその時初めてシンクロした。
ギュンターが名残惜しそうにリップを見つめて汁を垂らす。いい加減にしろ、とグウェンがその姿にため息を吐く。そうだぞ、あれはユーリのものだ、とヴォルフもいさめるが教育係は絶好のチャンスを逃したショックにオネエ座りで涙と汁を流している。
そんな背景には気づかず、ユーリはリップをポケットに入れようとする。

「ユーリ、最近ソレ使ってるんですか?」

「え?」

コンラッドが微笑みながらユーリに問うと、目を丸くしてそういえば、と笑う。

「使ってないかも」

「そう、それはよかった」

柔らかく笑うコンラッドにユーリもはにかみ笑う。しかしその様子を見ている3人には「何の話だ?」という思いが渦巻いていた。

「あっ!」

ユーリが突然声を上げ、ギュンターを見る。

「ギュンター、おれ勉強サボってたわけじゃないからっ!ただ…ちょっと気晴らしに歩いてただけだからさっ」

勉強していろと言われたのに歩き回ってた事がバレないようについた言い訳は明らかに逆効果。
だがギュンターはそんな事はとうに忘れていた。

「そんじゃ、おれ戻らなくっちゃ!」

ユーリはそそくさと部屋に帰っていった。別にギュンターは何も気づいてないから平気なのに、とコンラッドは思ったがユーリの逃げ足があまりに速かったので思わず笑ってしまった。

「元気だなぁ」

そう呟いて3人の方を振り返ると。

「コンラート!今のユーリとのやりとりは何だ?2人で秘密めいた話をするなんて腹が立つ!」

ご立腹の弟のわがまま攻撃に合い、

「そうですよっ!陛下と見つめ合って微笑むなんて…!やややはり陛下どデデデデキているのでは!?」

ご乱心の上にギュン汁拭いきれてねぇ教育係の勘違い攻撃を受け、

「…うさちゃん」

哀愁漂う兄の切なそうなため息に、こっちがため息だよ、と思う。

「あー、ちょっと、わかったから」

3人を制し、コンラッドはやれやれと肩を竦める。壁に寄りかかると口を開いた。

「あのリップは陛下が陛下の母上からいただいたものなんだ、俺が香りを知っていたのは陛下がこの前こっちに来た時に丁度つけてたから」

桃の香りの出所があの時はわからなくて。

「…少し前、朝走ってたらまた同じ香りが陛下からしたから聞いたら、あのリップの話をしてくれたんだよ、『お袋にもらった』って」

今は部屋に置いて来ちゃったんだけどさ、すげー少女趣味なリップでさー。と笑ったユーリを思い出す。

『…でも、あのリップを見る度、思い出すんだ。お袋とか親父とか兄貴とか…。で、もしかしてホームシックなんかにかかっちゃってるのかな?とか思っちゃって…情けないよな、おれ魔王になるって決めたのに』

そう言って明るく笑うから、俺も微笑むしかなくて。

『…そういう時たまにこうしてつけてみるんだ。そうすると何か懐かしい気持ちになるっていうか…。ってまだまだ甘いよな、おれ』

そんなことないですよ、迷ったっていいじゃないですか。これから少しずつ慣れていけばいいんです。それに家族はどんなに離れていても家族ですよ。
そう言うと、ユーリは目を細めて笑った。

『ありがとう』

そう言って。

「…陛下は早くこの国に慣れようと頑張っているみたいだったよ」

その姿勢がどんなにも皆にとって嬉しい事か。






「……っ、陛下ぁぁぁ〜っ、なんて健気なお姿なんでしょう!!」

話を聞き終えた3人にも、何か残る事があったらしい。グウェンは静かな表情で何かを考えているし、ヴォルフは恋する美少年のような切なげな顔つきをしている。ギュンターに至っては目から鼻から水を垂れ流す始末。

「私、陛下の為ならば例え火の中水の中、箪笥の中や引き出しの中までお供致しますトサーっ!」

しかもテンションまでMAXにしてしまったらしい。ギュンターはギュン汁にまみれた顔を輝かせながらユーリの待つ部屋へと走っていった。ユーリの数分後の悪夢に同情したコンラッドは急いでギュンターの後を追おうとするが。

「コンラート」

弟の声に足を止める。後ろを向くと複雑そうな表情のわがままプーがじっとこちらを見据えていた。

「…ユーリがもし、心を痛めたりする事があったらぼくにも話せ」

「……」

「ぼくはユーリの婚約者だから…悲しむ顔など、ぼくが消してやる」

弟の言葉に、少し驚いたが緩く瞳を細めた。

「了解」










その数日後。

「何、このシロブタちゃん達は」

部屋に並ぶ三頭のシロブタちゃん'S。コンラッドは昔もらったレオ子ちゃんを持ってきて並べる。全部で四頭のあみぐるみがおれをじっと見つめている。

「これも前回同様ライオンみたいですよ」

「あー、レオ子ちゃん」

よく見ると大きさが少しずつ違う。前に貰ったのが一番小さくて、後は少しずつ大きくなっていっている。

「1匹じゃ寂しいだろうって作ってくれたみたいですよ」

「へー。グウェンも仲間意識とかあるのな」

「陛下毒舌」

「あはは」

しかしこうやって並べてみると。

「なんか親子みたいだなー」

親レオ子ちゃんに子レオ子ちゃん。

「…そうですね」

『ユーリが寂しくないように家族を作ってみた』

グウェンがそう言った事を思い出して、コンラッドは嬉しそうに微笑んだ。
ちびレオ子ちゃんの頭を撫でるユーリの姿を見ながら。








皆、貴方を家族のように愛しているんですよ。








end.