catch a ball
足下のボールを拾い上げて、滲み始めた青空を見上げる。
ゆっくりと紅が東の空から広がって、傾いたシーソーを照らした。
「キレーな夕日」
突然の声にハッと顔を上げて横を見ると、見慣れた顔と目が合う。
「……しぶ…や」
赤く染まる彼が眩しくて目を細めると、それに気づいたのか位置を変える。仄かに残る残像に眉をしかめながら彼を追うと、その口元がそっと笑った。
「何してんの」
それは僕を満たすのには十分過ぎるもので。
笑われるかもしれないと思いながらも唇を噛んだ。
「…待ってた」
微笑いたいけれど、比例するように眉は下がっていく。情けない表情の僕に彼はゆっくりと頷く。
「……そう」
「待って…たんだ」
「うん」
目を伏せながらもう一度呟く。それはもう過去形だという事を確かめる様に。
手に感じる硬い感触は、それが当たったら痛いと警告するかの如く弾力が無い。少し泥で汚れた野球ボール。
「村田」
優しい声にのろのろと頭を上げれば、僕のグローブが差し出された。そして彼は僕の手を見る。
「日が暮れる前に…少しやろうぜ?」
ドサッ、と荷物を置くと、ブランコに座っていた僕の右手を掴む。意外にもその手は冷たくて、目を合わせると彼の瞳が一瞬悲しげに揺らいだ。
「渋谷」
「な?」
拒否される事を拒む様な瞳を彼が見せるようになったのはいつからだろう。
「行くぞ!」
緩やかな弧を描いて飛んでくるボールをグラブに納めると、彼は遠くで軽く笑った。
「ナイスキャッチ」
左頬から照らす夕日はやけに暖かそうで、僕は大きく振り被る。
力を込めればそれはそれなりのスピードで届いて、乾いた音が人気の無い公園に響く。
「ナイスボールッ」
左手にはめたグラブからボールを取り、笑う彼の声は皮肉じみていて。
返事の代わりに左手を振った。
「ッし」
それに応えるボールはまた緩やかな線を空に引いて落ちてくる。受け止めれば、聞き慣れた声が響く。
「さっ、こーい」
「言われなくてもッ…」
彼の左手めがけてボールを投げる。バシン、と音が鳴れば満足そうに投げ返してくる。
カーブの軌跡を描きながら。
「ッ、」
それに負けない全力投球を彼に投げる。軽い音と重い音が一定間隔で鳴る。僕らを照らす赤が少しずつ薄くなっても。
「…ッ、」
少しずつ息を切らす僕に彼は何も言わず、ただ一定のリズムでボールを高く上げる。僕はがむしゃらに、彼にボールを投げる。強く速く、もっともっとと。
「…くそッ」
何十回目かのボールは、狙った彼の左手から大きく逸れた。
取れない、そう思った瞬間、彼は左手にボールを閉じこめていた。
「…ナイスキャッチ」
思わず言うと、彼の表情が緩む。
「ナイス暴投ー」
そう言いながら投げるボールは高く上がり、何十回も触れた硬球がまた僕に届いた。
それは仄かに暖かくて。
「……ラストワーン」
聞こえる様に言うと、右肩を大きく振り上げボールを投げた。
高く高く上がるそれは、視界から消える寸前だった夕日が完全に消えてしまうまで宙に浮かんで、彼の元に届いた。
パシン、と柔い音が響く。
「…今のが、ホントの村田」
受け止めた彼は笑っていた。
僕の瞳を見つめて。
「……」
「だろ?」
そう言って彼は背を向けた。数歩歩いて、またこちらを向いて。
「遠投開始ー!」
暗くなった公園に声を響かせながら球を投げてくる。
見失いそうなボールを上手い具合に掴むと、僕は彼に向けて長く高い球を放つ。
それはチカチカと光る電灯の明かりを掠めて、彼の元へと届いていく。
「ナイスボール」
そう言う彼の表情は良く見えなくて。僕は目を懲らすけど、ただ目頭が熱くなるだけで。
「……」
「よっし、ラスト20ー!」
元気良く返してくる彼のボールを、滲んだ瞳を必死に開けて受け取る。
溜まった涙は投げ返した瞬間こぼれ落ちて行くけれど、気にしない。
「ラスト19ー!」
優しいボールで、癒してくれる彼にもっと投げ返していたいから。
「ナイスキャッチー」
涙が乾ききる前に、優しさのキャッチボールが終わらないように。
ありがとうを込めてボールを高く投げた。
end.