記憶が無くなる日







彼の為に在れれば良いと思っていた。
全てが彼の為に。
それが僕の存在。





そこに自分の意思は確かにあった。







「…きみの想いがいつか、彼に出会えます様に」

祈りを込めて手を離せば、簡単にそれは風に散った。
誰かの為に祈るのは初めてではない。

「…村田?」

「あれ、渋谷」

珍しい。
振り向いたらそこには渋谷がいた。
ほら、そこにだって同じ風が吹いてる。

「…何してたの?」

「…そんな済まなそうな顔しなくても平気だよ。こっちにおいで」

僕を気遣ってくれたんだね。
ありがとう。
そんなところが、とても愛しい。

「綺麗だな」

「うん、夕陽って沈む瞬間が一番綺麗だね」

「……なぁ」

「いいよ、何を聞いても」

答えてあげる。
きっと今なら、何でも言える。

「…じゃあ、いっこだけ」

もう一歩、側に近づいて。
肩が柔らかく触れた。
その刺激がじんわりと胸に響いて。

「何を飛ばしたんだ?」

僕の方を見ないその瞳を、盗み見するように横目で見て、下を向く。
もう何も残っていない過去を、思い出すのは困難だ。

「…骨」

「ホネ?」

「そう、ボーンだよ」

「…骨、か」

それっきり渋谷は何にも聞かなかった。
本当にひとつしか聞かないんだ。
今なら僕の本当の想いだって、言えちゃうのに。

「渋谷はさ、僕の側にいると窮屈かな」

「そんな風に思った事なんかねぇよ」

「渋谷の思いをどこかで塞き止めてたりするのかな、僕」

「…おれはお前が好きだけど、それだけじゃ足りない?」

足りないだなんて。
そういう問題でも無いけど、渋谷が言いたいことは解ってる。
でも答えはいつだって食い違うものだから。

「ううん」

「…村田?」

優しくして欲しいだけなんだ。
だって僕は失くしてしまったから。
できれば一番好きな人に、ぎゅっと抱きしめて欲しい。
でも僕は男だし子供でも無いしこんな性格だから言えるわけも無いし。

「…お前のそういう顔、初めて見た」

「…僕だって、初めて見せたよ…」

「…」

そっと肩を抱かれて、そのまま引き寄せられればいつの間に渋谷の両腕が背中に回っていた。
これじゃあ涙が拭けないけれど、この腕の温かさに勝るものなんてない。
ありがとう。
ごめんね。

「…泣きたい時は、一緒に居てやるから」

「…もう泣かないよ」

「だってそんなに早く、カタがつけられるものでも無いだろ?」

「…」

「泣かないって決めるのはお前だけど、泣いても良いって決めるのはおれだ」

「…何それ、ゴーイン」

「強引でいいよ」

無くしてしまった。
ずっと煩わしいと思っていたものを。
今度はもう、失くしてしまった。
本当に、要らないと願っていたのに。

「…何で涙が出るんだろ」

「そりゃあ、村田のものだったからさ」

「あんなものでも失くすとやっぱり、痛いんだね」

「人間らしい証拠だよ」

あぁ。もう僕のものでは無いんだね。
手放す瞬間さえ気付かなかったのに、今になって泣けて来るなんて。

「…でもやっと、自由になれた」

「うん」







自由を手に入れる代わりに、失くした記憶達が元の場所に還れますように。