旅立ちの前に






失ったものをこの手に並べてみれば、それはとても小さなものだった。
得たものを並べようとすれば、自分の腕だけじゃ抱えきれないほどだった。


そんな事すら解らなかった、あの頃。






今回の戦で親しき友を幾人も失った。
こんな事が無ければずっと生きていられたであろう有能な友の、その先の人生は途切れてしまった。
そして俺は、大切な親友までも失ってしまった。

「どうして…」

ジュリアの亡骸を見た瞬間、今まで斬り裁いてきた数え切れないほどの敵の姿が浮かんだ。
どうしてか解らないけれど、その日は悪夢にうなされた。顔の無い沢山の兵士が休む間も無く襲い掛かってくる。それはまだ癒え切らない傷の痛みと呼応して俺の精神を圧迫して。
目が覚めた瞬間、全ての現実に胸が痛んで俺は初めて泣いた。
戦争中もジュリアの死を知った時にも泣かなかったのに。
悲しみも辛さも混乱も全て考えずに泣いた。
ただ俺にも同じ様に、死の影が訪れてくれればいいのにと思いながら。


「スザナ・ジュリアはあなたに魂をあずける事を望んだのですよ」


なのに。
世界は俺を生かした。
そしてジュリアは俺を、選んだ。

「…ジュリア、どうして俺なんだ?」

明日、俺は異世界へ飛ばされる。
自分の部屋から見える夜空はこれまでの事を何も知らなかったかの様に星を瞬かせていた。
それが俺には悔しくて、何の罪も無い星空に向かって声を上げて罵りの言葉を発した。
馬鹿野郎、とか死んでしまえ、とか。
それは誰に対してでもなかったけれど、全ては自分に跳ね返ってきた。

「…っどうして、」

最後にはもう、何で、どうして、こんなはずじゃなかった、としか言えなくなって。
人の死に逝く様は幾度も見た筈なのに、何かが壊れてしまったのかと言う位におれは自分を見失っていた。
だから部屋の扉が開いたのも、誰かが入ってきたのにも気付かなかったんだ。
だらしなく項垂れてバルコニーの手摺りに手をかけると、ふいに背後から声がした。

「…コンラート」

「!」

驚いて振り向くと、そこには予期せぬ人物が居た。

「…母、上…」

「ウルリーケから聞いたわ。あなたが明日、異世界に旅立つと…」

常に美しい人だが、夜の明かりの下で見ると尚更それが引き立つと思った。
だが久々に会った母は少し、やつれが見えた気がする。

「…お知りになられたのですか」

「ええ…新しい魔王陛下の魂を、安全な地へお運びするのでしょう?」

それが誰の魂かについては何も言わず、彼女は俺の横に立った。
俺もその事には触れず、黙って頷き返す。
手摺りに手をかける彼女の横顔に、この人が現魔王陛下だという事を忘れそうになる。
どうして母親というものは、側に居るだけで安心するのだろう。

「…どうして、俺なんだろう」

「…え?」

「…俺はジュリアを、助けられなかったのに…」

「コンラート、あなたそんな風に考えていたの?」

驚いた口調にも動じずに遥か遠くを見つめる。
おれはジュリアの為に何も出来なかったのに。

「…コンラート。ジュリアはあなたのせいで亡くなった訳じゃないのよ」

「じゃあどうして死ななければならなかったんですか」

慰めに似た口調に堪えていたものが溢れそうになった。
誰かにぶつけたくて、でも自分の中で抱えていなければならないものだと必死に思っていたのに。

「コンラート…」

俺を呼ぶジュリアの声は、もう2度と聞けはしないのに。
どうしてジュリアの魂は、他の人に受け継がれていくのだろうか。
そしてそれがどうして、魔王なのか。
肩を抱かれて、引き寄せられて母のぬくもりを直に感じたら目頭が熱くなった。

「…母上…」

「コンラート、弱音を言っていいのよ、不満を口に出してもいいの。どうしてあなただけがそんなに苦しまなければならないの?そんなの、間違ってるわ」

「…どうして、俺は生き残ったんですか?ジュリアも、仲間も沢山死んだのにっ…俺は生き残った…」

肩を抱かれて、涙がぽとりと零れた。
沢山の未来ある友を失った。
ジュリアにだってアーダルベルトという婚約者が居たのに。
そんなにまでして戦ったのに、この戦争の持つ意味は解らないままだ。
そして俺はこんな気持ちのまま、眞王に忠誠を誓う事が出来ない。

「…ねぇコンラート、死んでしまった方達は人生に置ける意味なんて無かったのかしら?」

「…意味?」

「きっと彼らは精一杯生きて、自分達が望む通りに最後を遂げたんだと思うわ。例えばあなたに殺された敵の兵士だって、死を覚悟していたのであればそれは名誉の殉死と取る事も出来る。ジュリアだって自分の意思で最後まで誰かの役に立とうとした筈よ。それを生きている私達が後からどうこう言うものではないわ」

「でも…だとしたらどうして俺は生かされてるのですか…」

「生かされてるのじゃなくて、生きているのよ。私達にはやらなければいけない事が残っているの、だからまだお迎えが来ないの。…でも誰だって大切な人を失うのは辛いわね」

「…」

「あたくしもダンヒーリーを失った時はとても悲しかったわ。愛した人がこの世から居なくなるのは本当に辛かった」

「母上…」

「そして今回ジュリアを失った。でもその苦しみや辛さは完全に共感し合えるものではないのよ」

大人気なく涙を流した俺の目元を柔らかな指が滑った。
微笑む母の絶対的な安心感は、幼い頃にあまり触れ合った事が無かった俺にも解る。

「でもね、あたくしにはあなたが居る。グウェンダルもヴォルフラムも居る。それが悲しむ心を癒してくれるの」

「…俺が居る事が癒しになるんですか?」

「そうよ。コンラート、あなたはダンヒーリーとの思い出の証なのよ。あたくしの大切な人は1人じゃないの」

気丈に微笑むその姿は、俺への愛で溢れていてそれがまた涙を誘う。
今日の俺は随分、感傷的らしい。

「あなたにもきっと、癒してくれる何かがある筈だから。でも今は気を張らなくていいのよ、泣いていいの。そうやって少しずつ、乗り越えていけばいいのだから」

「…はい…」

またしばらくは会えないこのぬくもりを少しでも覚えておこうと俺は息を吐いた。
そうしたら溢れていた涙がぼろぼろと零れ落ちて、そんな自分に少し笑った。

「…何だかこうしてると、あなたが昔飼っていた猫が死んだ時の事を思い出すわね」

「…懐かしいな、それ」

「今日のこともいつかこうして振り返る日が来るわよ」

「…そうだといいな…」


そうして俺は夜空を見上げる。
涙で滲んだ空はやっぱり何も変わらなくて。
でもさっきよりずっと澄んでいる様な気がした。

ジュリア。





「…母は強し、か」

「ん?何か言ったコンラッド?」

「いや、ひとりごとですよ。ちょっと思い出すことがあって」

「ふーん、…何か良い事でもあった?」

「え?」

「だってホラ、さっきより良い笑顔」

「そうですか?」

「そうだよ」

「それは星が綺麗だからですよ」

「…コンラッドってロマンチスト?」

「…そんなトコ、です」










失ったものと得たものを天秤にかけてどっちが重いかなんて
そんな事










(でもそんな事すら考えられなかったあの頃の自分よりかは幾分かマシ)













書いた後気付いたが次男はやさぐれたまま地球に飛んでいるらしい。
…でも結局最後はちょっと自嘲的なお話。白でも黒でもないグレーな次男は初めて。