ブルーバード
その日の空は青くて、村田はいつもの如く屋根裏に居た。
普段は誰も使うことの無い迎賓棟の書庫室の上。
彼の小さな隠れ家はこの城が出来てからずっとあったと言う。
『でも中は、やっぱり昔のままだった』
そう案内された部屋にはたったひとつ、木で出来たベッドが置いてあるだけだった。
窓際に寄せられたそれは太陽の光を浴びて、敷かれた白いシーツが反射を受ける。
窓の外には青い空しか映ってなくて、村田は慣れた手つきで窓を開けた。
ふわりと、レースのカーテンが踊り。サァ、と風が入り込む。
運ばれた季節の風は長い年月使われていなかった部屋に時を告げ、カタンと出窓に飾ってあった物を倒した。
『何か、倒れたぞ』
村田はそれに気づかないのか、ただ背中を向けて開け放した窓からの景色を眺めていた。
不思議に思い部屋の入り口で止まっていた足を進ませると、暖かい香りが鼻を撫でて。
次の瞬間村田は振り向いて、指先で倒れた物−写真立て−に触れると小さく笑みを浮かべた。
『いいんだ、こうなるべきだったのだから』
そして緩く首を振った。
こうなるようにしておいたから、このままでいいのだ、と。
おれは意味が解らず首を傾げたが、本能的にライン上に居ることに気づいてそれ以上の追求を止めた。
人と人の間には入り込んではいけない領域というものがあるのは辛うじて解っていたから。
そしてそれを持つことは、時に相手を悲しませるということも。
『ここに誰かを呼んだのは渋谷、きみが初めてなんだよ』
目を合わせたまま村田は、最近見せるようになった大人びた笑顔でおれを見た。
その一言に単純な心臓が簡単に速度を上げると、見透かすような、隙のあるような瞳に刺される。
非常に簡単に与えられる優越感の原因が自分の言葉にあるのだと知っているかのようで。
おれが目を逸らすと、待ち構えたように噴きだされた。
…その日々は、余りに幸せすぎたのかもしれない
眞王廟の村田の部屋を出て右に行くと脇に像があり、その台座にはめ込まれた石のある場所を順番通りに押すと簡単にそれが動くようになっている。その下にある通路を辿って行けば、そう遠くない時間で迎賓棟の隠し部屋に繋がる階段に辿り着ける。
カツカツとそれを上っていけば、鍵の無い木の扉があって。
屋上に続くようだ、と思った。
「村田」
キィ、と扉を押すと、窓際に探していた背中を見つけた。その事に幾分ホッとするのに驚く。おれが無意識に村田のイメージを儚い、とか脆い、とかに置き換えてしまっているのかもしれない。
実際、村田は出会った頃より繊細なものになった。
おれの中での村田の存在が大きくなるに連れ、大事にしたいという気持ちが増えていった結果だ。
それでもおれは、大切なものを素直に大切にすることを忘れてしまっていた。
「…見つかったね」
明るいひかりを浴びながらカーテンの陰に隠れる村田の上着は、平素とは違って開け放たれたままだった。中に着ていた白いシャツは馴染んだように皺になっていて、その事に気付くとあぁ、と目を細める。
「少し昼寝をしていたんだよ」
ベッドに近づいたおれの為にスペースを空ける様、端に寄る足も裸足だった。
知らなかったけど本当はいつもこんな風に、此処で時間を過ごしていたのかもしれない。
「…気持ちよさそうだな」
目を合わせても側に居ても、何を言ってももう前には戻らないけど、本当は何かしたら、また元に戻るんじゃないかと心のどこかで思っていた。
でも何をすれば良いのか、解らないまま。
「…渋谷、青い鳥はお家にいるんだよ」
まるで世界にふたりぽっち取り残されたかの様な、給水塔の上から見た音の無い町並みの様な寂しさが、静かに押し寄せる波のように溢れて引いていった。
もう、衝動で誤魔化せるほど子供でもない事を予期していたかの様に、村田はハンカチをおれのポケットに入れる。
「渋谷はもう帰らなくちゃいけない。でもその前に、魔法をかけてあげる」
「…魔法?」
「そう、おいで」
裸足のまま床に下りると、おれの手を引いて扉に向かった。
ゆっくりとその扉を開けると、おれだけをその向こうに出してよく見た微笑みを向ける。
「じゃあ、今から魔法をかけるね」
おれの肌と同じ温度の指先が、ふわりと頬に触れる。
「キスをしたら、渋谷はこの部屋の事を忘れてしまうでしょう」
そして早く、きみのブルーバードの元へ。
そう呟くと、おれの唇に小さくキスをくれた。
村田がおれに見せた最初で最後のわがまま。
「じゃあ、またね」
閉められていく扉の向こうに見える木のベッド。
その向こうにある出窓に、起こされた写真立てを見つけた。
一瞬だけ、何が写っているのかもわからないままだった。
その時おれは今更ながら、何事にも終わりがあることを理解したんだ。
そして止め処なく溢れたのは、今までの想い。
青い鳥は、その小さな窓辺から逃げてしまった。
今日の空は青くて、大賢者様は相変わらずふらりとどこかに消えてしまっているそうだ。
居場所は多分、迎賓棟の書庫室の上の屋根裏。
彼の小さな隠れ家は、これからもずっと知られないまま。
end.