いてくれてよかった





どうしても行くと言うのなら僕を抱きしめて。
一度だけで良いから
一生に一度だけで、良いから






外はまだ午後に入ったばかりの快晴で、太陽の光が差し込む室内は暖かかった。
僕は渋谷の腹に片手を付いて、持って行かれそうになる意識を何度も覚醒させていた。
渋谷に触れられた腰が熱を持ってジンジンと響く度に、無意識に声は大きくなって。
息を吐きながら喉を反らすと後頭骨辺りがじわりと痛んだ。

「む…ら、たっ…」

涙が滲む。
押し寄せる波にそのまま流されてしまうと、縋り付く様に渋谷の胸に凭れた。
光は余りにも僕等を照らしすぎている。恥ずかしくなって彼の首に抱きつくと、寄せられた唇に思考は溶けて流れていった。只、水の様に。

「…無理させた?」

渋谷はオアシスみたいなひとだと、ぼんやり思った。
ぼやけた視界でも彼の事だけはこんなにはっきりと見える。
それは本物だったからだと、今でも信じたくなる。
本当は、ちょっとだけまだ、期待してる。

「ううん」

きみの世界に雨が降る度、僕は潤い満たされるなんて。
どうして恋をしてしまったんだろう。
胸が潰れそうに痛いなんて、ありえないと思ってた。

「好きだ」

「僕だって」

お互い微笑むとゆっくりと体を離した。
繋がっていた箇所は熱をまだ持たせながら、それが無くなることを恐れるように太い糸を引いた。
真昼の中で晒されるとそれはとても気恥ずかしい。こんな中で抱き合ったのは今まで無かったから。
それは渋谷も感じているらしく、目を合わすと照れくさそうにはにかんだ。
僕の大好きな、その笑顔。





「そろそろギュンターが探し回る頃かな」

上着のボタンを留めながら渋谷がぽつりと呟いた。僕は小さく欠伸をしながら取り替えたシーツに包まって本の栞を探す。

「そうだね、じゃあ行ってあげなくちゃ」

出来るだけ騙されてあげようと思ったけどつい言葉に笑みが混じってしまった。
お気に入りの緑の栞はまだ、見つからない。

「…村田」

「ほら、行ってやれよ」

なかなか難しいんだ感情のコントロールは。でも解って、怒っているわけじゃないんだよ。
そんなもの、好き過ぎて悲しみにしか変わらなくなってしまったんだから。
だから笑ったんだ。
わかってる。
きみが好きなのは僕なんだって事は痛いくらいに。

「うん、」

僕が笑うといつだって渋谷は従うから。
だからもう大事な本音は言えないんだ。
本当は行って欲しくない。
でも言わない。
言いたい。
言えない。
どうしても行くなら、僕を抱きしめて。

そうしたら、僕は。




「……?」

「…好き」

そう言われた言葉さえ耳を素通りしてしまった様な気がした。
押し倒すように抱きしめられた体がベッドの上で熱を帯びる。一瞬で。
背に回された手のひらは強くて、暖かかった。

「しぶや」

「…ごめん、」

気まずそうに体を離す渋谷に僕は何が起こったのかを理解するので精一杯だった。
体温の余韻が体中を駆け回る。


「渋谷…もう、だめだよ」


僕は、僕等はもう、おしまいなんだね。
こんなにもこんなにも好きなのに。
これ以上はもう、好きになれないなんて。

「村田・・・」

「だって、このままじゃもう、だめだよ」

不思議と涙は出なかった。ずっと決めていたことなんだから覚悟は出来ていたんだろう。
それに渋谷の行動は今までの何よりも胸を満たした。
僕は本当に嬉しかったんだ。

「…嫌だ」

「…ごめんね」

渋谷だって解ってる。だからこそ、こうなってしまったんだろう?
抑えきれない位に育ってしまったらもう、今までみたいにはいかないって事。知ってて抱きしめたんだから。
そう、…きみを幸せにするのは僕じゃないんだ。

「おれの気持ちは…」

「きっと、薄れる日が来るから」

遮る様に笑いかけると、そっと頬に触れた。
冷たいや。

「ほら、早く…きみを待っている人がいるんだから」

急かすように言ったけど、でももう何だか泣きそうな声になっていたかもしれない。
渋谷は僕の目を一度見つめると、苦しそうに笑って背を向けた。
扉に向かう後姿を瞼に焼き付けようとしたけど、視界はあっけなく滲んだ。

「…っ」

ありがとうも、ごめんねも、もう言いたくない。
好きだ、愛してる。どうして僕達は、幸せになれないの?

「…あぁっ」

渋谷の姿が見えなくなると、代わりにせきを切った様に涙が零れた。
あんなに解っていたことなのに。
言い聞かせて、理解して、それでも好きになったのに。
どうして。

「好き…好きだよ、渋谷…」

こんなに悲しいのに、心は痛むのに。
何故か解放された気がするのはどうしてなんだろう。


彼に出会えてよかったと思うのはどうしてなんだろう。